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2016.01.17 Sunday

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ジェリー・ガルシア「smile」 3

2013.09.08 Sunday

オリンピックが東京に決まって大喜びしている人は今日のブログは読まないでください。あなたの喜びに水を差したくないからです。


原発事故も収束できずにいる今の日本でオリンピックなんかやってる場合じゃない、こんなところに外国のアスリートたちを呼ぶべきじゃない、と思っていたので今日の決定にがっかりし、落ち込んでいる人たちのためのブログです。


ひと足早く「2020年東京オリンピック・ポスター」が届いたので紹介します。

メールで届いたので作家は誰かわかりませんが、よく見るとすみずみまでよく作りこまれた凄いポスターです。

実に奇怪なポスター。しかしこの奇々怪々な世界が現実になってしまいました。


    smile poster.jpg


ジェリー・ガルシアの『smile』を購入してくれた人たちの手許には本はすでに届いていると思います。入手できなかった人たちのために、今日は別の絵、別の言葉を掲載します。

今日のような日、今日のような気分の日に読んでほしかったものです。


    smile 3*.jpg


この先何が起きるのか?

この世界は

どんなあやしげなものになっていくのか?

僕はショーのすべてを見守っていたい。

何かを失うかも

とか恐れるあまり目をつぶってしまうなんて

もったいなくて、とんでもない話だ。


----  ジェリー・ガルシア


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ジェリー・ガルシア「smile」2

2013.08.11 Sunday

93年に「smile」の本を出したときは話題になったわけでも売れたわけでもなかったのですが、いつかは役立つ本になるから、と思って在庫本を大量に買い取りました。その本を今回販売する告知をしたら、一週間で完売になりました。
ひとり2冊までにしたとかで、ご希望にそえなかった人たちも出たようです。ごめんなさい。キャンセル待ちの人もいるとか。
20年も前の本なのに、感無量です。みなさんに感謝します。

「smile」の表紙の絵はもともとぼくが表紙にするつもりだったのに、編集会議で他の絵に決まって印刷所に入ってしまいました。色校正の日に他の編集者が誰もこなかったのをいいことに無理を言って、もともとのこの絵に戻しました。
あとでみんなには「この色も線もラクに描いているようで、すごくコントロールがきいている。まるでジェリーのギターみたいじゃない」とか理屈を言いましたが、いやなに、ぼくはこの絵が大好きだったんです。

ジェリー・ガルシアに会った日、ぼくはまず「この本を作りました」と自己紹介しました。ジェリーは「前からこの表紙の絵はシルクスクリーンにしてくれ、と何度も頼んでたのに彼がやってくれなかったんだよ」と一緒にいたJ.Garciaギャラリーの人を指さして笑いました。
「ほら日本の人たちはわかってくれているじゃないかって話したばかりなんだ」

ぼくにとってはこんな幸福なやりとりが最初の会話だったんです。
すぐに表紙を開いてジェリーにサインをお願いしました。
MAKOTO宛てサインになっているのは、ぼくはこの本を南風椎ではなく本名の長野眞で編集したからです。

    jerrysign*.jpg
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ジェリー・ガルシア「smile」

2013.08.04 Sunday

   smile*.jpg

8月1日の誕生日から9日の命日までは「ジェリー・ウイーク」と呼ばれています。グレイトフル・デッドの偉大なギタリスト、ジェリー・ガルシアを偲ぶ週間です。
そんなジェリー・ウイークを過ごしているデッドヘッズにとって、あるいは混乱する日本にうんざりしている人たちにとっても(たぶん)グッドニュースです。

1993年の秋、偉大な画家でもあったジェリーの絵画展が東京で開かれました。
この本はそのときに作ったものです。20数点の絵と対抗ページにジェリーの言葉を配して編集しました。展覧会の会期中だけ販売され、多くは出回っていません。
期間が終わったときぼくは在庫になっていた本を全部買い取りました。

先の引っ越しの際、そのときの本が小さな段ボールに一箱出てきました。
流通しなかった本なので、新品同様の状態でした。調べるとネット上では中古本が高額で売買されていることもわかりました。
帯に記した言葉「混沌の中に 新しい秩序が見えてくる」を読んで、この本は今必要としている人たちの手に渡った方がいいと思い、FBでフライのページを管理している人にお願いして販売してもらうことにしました。
発行当時の定価1800円と郵送料でお分けします。


このページでメッセージのボタンを押して申し込んでください。

    jgarcia.jpg

マジカルな瞬間っていうのは
自分で意識してどうこうできるものじゃない
ただ、いつもそういう瞬間が訪れるんだってことを信じて
自分の気持ちを整えておくだけさ。

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ぼくの人生の屋根裏

2012.11.02 Friday

この夏グレイトフル・デッドの14枚組のDVDセットが出た。
必要としている人たちの手許には、もう届いていると思う。このDVDセットを見れば、デッド体験がない人でも十分なデッド体験ができる優れたセットだ。

なんでも入っているセットだけど、実はここからなぜかもれてしまっている名曲がいくつもある。今日はそんな歌のひとつを紹介したい。デッドの世界の奥深さだ。


 ぼくの人生の屋根裏(Attics of My Life)


 ぼくの人生の屋根裏部屋で
 現実ばなれした夢がたくさん
 雲にかくれている
 舌が知らない味わいがあり
 目に見えない光がある
  ぼくに聴き取る耳がなかったとき
  きみはぼくに
  歌を歌ってくれた

 ぼくの人生は
 まだ歌われていないものを探すことに
 費やされてきた
 音を聴くために耳をふさぎ
 見るために目をとじた
  ぼくにつまびく弦がないとき
  きみがぼくのために
  つまびいてくれた

 恋の本が見る夢
 すべての活字が血でプリントされ
 すべてのページがぼくの日々
 ぼくの光がすべて色あせていく
  ぼくに飛ぶ翼がなかったとき
  きみはぼくのところに
  飛んできてくれた

 きみは
 ぼくのところに
 飛んできてくれた

 夢たちの秘密の場所
 そこにぼくは横たわり
 驚きに満ちた夢を見る
 すべての秘密が語られ
 すべての花々がひらき
  ぼくの夢がなくなったとき
  きみは
  ぼくを夢に見てくれた


----- ロバート・ハンター (南風椎/訳)

    american beauty*.jpg

アルバム "American Beauty" に収められていた歌。
Facebookで松居功さんが、このアルバムが出て今日で42年めになると教えてくれた。
この上なく美しい歌です。
スタジオバージョンで聴いてください。



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デッドヘッズとは

2012.10.29 Monday

西丸文也の散骨の会には、デッドのジャケットを着て行った。
骸骨の絵を刺繍した服で行くのは顰蹙を買うかもという思いもあったけど、グレイトフル・デッド(感謝する死者)の服なら西丸さんは笑ってくれるだろう、と10年以上着ていなかったジャケットをひっぱり出したのだ。

散骨の船の上で若い男の子から、
「デッドヘッズなんですか?」と声をかけられた。若干ためらいながら、
「そうなんです」と答えた。

365回デッド・ショーに参加した人がやっと満一才の誕生日を祝ってもらえるというハードコアな世界で、デッドヘッドを自称するのは勇気がいる。ぼくはたった7回しかショーを体験していないのだ。
日本でもデッドヘッドという代わりに「デッド好き」と自称する人が多い。

 scull*.jpg

デッドヘッズとは何か、についてブレア・ジャクソンが書いている。

グレイトフル・デッドは好きだけど、自分はデッドヘッドではありません」
これまでにいったいどれほどたくさんの人がそう話すのを、耳にしてきたことだろう。まるで「デッドヘッド」という言葉は「ハンセン病患者」と同義語であるかのようだ。
これはつまり、彼らがみんなストレート・メディアによって伝えられるデッドヘッズ像を信じ込んでいるということだ。要するにストーンして、絞り染めの服を着て、フォルクスワーゲン・バンを運転する、髪をしばった、パチョリの匂いのする、おかしな名前の、野菜ブリトーやクリスタルを売っている、単純な会話しかしないクレイジーな連中。
(中略)
デッドシーンは見た目がアナーキーなので、たくさんの人たちを怖がらせ、98%の人々はデッドを抱きしめる可能性を奪われてしまう。自分をデッドヘッドと呼ぶ人はもっとはるかに少なくなるのだ。
何回ショーに行ったことがあるか、が問題なのじゃない。車に何枚のステッカーを貼っているとか、バンドが「イレヴン」を最後に演奏したのがいつだったか知っている、というようなことでもない。デッドのすべての曲の歌詞なんか知らなくてもいい(メンバー自身よく間違えるのだし)。ナカミチ・ドラゴン・テープデッキをもっていなくてもいい。過去5年間、一度もショーに行ってなくたっていい。
デッドヘッドとは何かを考えてみたのだけど、たぶんそれは精神や態度における、ある種の開放感のことではないだろうか。そしてバンドやシーンを共同体的に祝福すること。しかし、どちらも真実とは言いきれない。
ショーには行くし、テープも集めるし、自分をデッドヘッドと呼んでいるが、シーンは嫌いで、ショーを楽しんだこともほとんどなく、もしかしたらひとりやふたり好きじゃないバンドメンバーがいる! などという連中もたくさんいる。いろんな人々がいるし、もちろんそれが、大きな秘密なのだ。
結局こういう言い方になってしまうのは、あまりにも逃げ腰だろうか。もしあなたが自分はデッドヘッドだと言うのなら、そうなんじゃないか? もしあなたがそれを認めたくないと言うのなら、そうじゃないんじゃないか?


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魔法(マジック)

2012.09.03 Monday

ジェリー・ガルシアが50才になろうとするとき、ローリングストーン誌がインタビューし「あなたが50年も生きてきたことについてどう思いますか」と質問した。
ジェリーは「一億年生きてきた気がする」と答えていた。
冗談を言ったわけではないと思う。彼は実感を正直に語ったに違いない。

前回の日記で『あなたは美しい』を紹介した。この本はもちろん大好きなイルカに捧げて書いたものだけど、見本が届いてひさしぶりに読み直したとき、これはジェリー・ガルシアに捧げた本でもあったことを思い出した。ジェリーに会った翌年の94年、彼が亡くなる前年に出た本だった。
彼の70回めの誕生日から命日までの、いわゆる「ジェリー・ウィーク」にオンデマンド化されたことに、ぼくは感無量になった。

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今年2月に『デッド・ムーヴィー』の仕事を始めてすぐにこのDVDの発売日が4月25日、ぼくの誕生日だと聞かされた。『ムーヴィー』が終わると14枚組DVDボックスの仕事が始まり、その発売日は8月1日、ジェリーの誕生日であると知らされた。
グレイトフル・デッドのライブDVDを見続けた半年間が終わった「ジェリー・ウィーク」に『あなたは美しい』がやってきたのだ。
もちろんどれも、偶然にすぎない。
でもジェリーやデッドの仕事をすると、いつもかならずこんなふうな不思議な偶然が起きていた。デッド・コミュニティでは「魔法(マジック)」と呼ばれている。

魔法(マジック)

「デッドヘッド用語集に『魔法(マジック)ほど絶対不可欠な言葉は他にない」と、ブレア・ジャクソンは1980年に書いている。
「アーサー王の魔法使いマーリン、まじない師、シャーマン、心霊奇術、これらすべての意味をもつ言葉。ほとんどすべてのデッドヘッズがグレイトフル・デッドと他のバンドを区別するときに、最終的にたどりつく言葉だ」
ミッキー・ハートは次のように説明している。
「すごくいい夜には、魔法が訪ねてくる。そうでない夜には、理由はわからないが、それは遠くにいる。ミュージシャンとして私たちにやれることは、自分に正直になり、一生懸命演奏して、すべてが噛み合って、魔法が私たちを見つけてくれるのを望むだけだ」
(中略)
ショーとかショーの周辺で起きる「魔法のような」偶然のことを、デッドヘッズはよく口にする。日常よくある幸運な偶然が、デッドとデッドヘッズの存在によって強まっているように思われる。このコミュニティがまるで、偶然にレンズの焦点を合わせる作用をしているかのようだ。
「最初、私たちは魔法はジェリーのギターから、らせん状に飛び出してくるものだと思っていた」とアヴァロン・ボールルームのマネージャーが回想する。
「そのうちにわかったのだけど、魔法とは私たちのことだったんだ」


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リプル(さざ波)

2012.08.08 Wednesday

あなたが菩薩になるのなら
ぼくはタクシーの運転手になって
あなたを家に連れて帰ってあげよう

----- ゲイリー・スナイダー (訳/南風椎)

「家に連れて帰る」。これはグレイトフル・デッドの主要なテーマだ。
歌詞に多用されているだけじゃない。
どんなに長くて遠いジャムの航海に出ても、最後はかならず港に連れて帰ってきてくれる。デッドの音楽の最大の魅力だとぼくは思っている。

「もし道がわかれば/あなたを家に連れて帰ろう」と歌われているのが『リプル(さざ波)』だ。この歌は俳句のリズムで作られている。英語のHAIKUは575、17シラブルで作られる。

Ripple in still water
when there is no pebble tossed
nor wind to blow

静かな水面にさざ波がたつ
小石が投げられたわけでもなく
風が吹いたわけでもない

----- ロバート・ハンター (訳/南風椎)

書かれていることだけ。裏にも表にもそれ以上の意味はたたえていない。きわめて禅的な俳句だ。日本の伝統的な芸術とデッドが結びついた、素晴しい歌だ。(日本人の耳には七五調の演歌のように聴こえることもあるようだ)ぼくはこの歌を聴くと、龍安寺の石庭で足元に広がってくるさざ波に心を奪われた体験を思い出す。

 ripple*.jpg

Photo by Ichigo Sugawara from the book
"Yoko Ono Grapefruit Juice"

『リプル』はとても愛されている歌だけど、コンサートで演奏されるのは稀だった。
2500回以上のライブをやったデッドがわずか40回ほどしか演奏せず、そのほとんどは80年のアコースティック・ツアーで歌われている。
そのツアーの最終日のライブ(『Dead Ahead』)が今回のBOXセットに入っている。
地元のサンフランシスコではなく、ニューヨークのど真ん中のラジオシティホールでこの歌が熱狂的に迎えられたからだろうか、ジェリーは歌の最後に涙ぐんでいる。


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Happy Birthday, Jerry.

2012.08.01 Wednesday

今日8月1日の夜はあなたの生誕70年を祝して、全米何百館もの映画館であなたが作った傑作"Grateful Dead Movie"が上映されるそうです。ここ日本ではデッドDVD(14枚組!)のボックスセットが発売になります。ライナーノートその他の翻訳を手伝ったので、この祝祭にほんの少しだけ参加できたようでうれしいです。

1993年にあなたにお会いできた日のことは『スケルトン・キー グレイトフル・デッド辞典』の「訳者あとがき」に書いたことがあります。

今回の旅を仲介してくれたJ.ガルシア・ギャラリーの人から連絡が入り、ジェリーの家にぼくたちを案内してくれることになった。
マリン郡の山の中を車はくねくねと走って行った。道の両側に現れる大きな門構えの中を覗くと、どこもうっそうとした木々に隠れて家なんてどこにも見えない。超高級住宅地帯だった。そんな道ぞいに一軒だけ門も塀もないすごく小さな平屋の家があって、そこがジェリーの家だった。玄関から出てきたジェリーは、こう言った。
「家の中は取っ散らかってるから、空の下で話そうよ」
ぼくたちが発行していたオリジナルアート・マガジン『ART WORKS』をおみやげ代わりに渡し、それを見ながら画家ジェリーの感想を聞いたりした。最近は絵を描くことに夢中になっているという話もしてくれた。やがて家の前にジェリーを迎えにきたリムジンがとまった。その日はオークランド連続公演の最後の日だった。
最後にどうしてもジェリーに話しておきたいことがあった。
「95年に日本でデッドショーをやってほしいんです」
「95年が特別な年だってことは知ってるよ」と、ジェリーはにっこり笑った。
あ、勘違いされてしまった、とぼくは思った。ヒロシマ、ナガサキから50年、日本が戦争をやめてから50年になる1995年に「原爆の解毒剤としてのデッド」(ジョゼフ・キャンベル)に来日してほしいという意味でぼくたちは言ったのだけど、ジェリーは別の意味にとったようだった。1995年という年はグレイトフル・デッドが結成30周年を迎える年でもあったからだ。
「じゃあ、ぼくはシャワーを浴びて、オークランド・コロシアムに行かなきゃ」
と言ってジェリーは家の中に入っていった。ほんの3,40分のことだったが、ほんとうに素敵な時間だった。その日は一日中、ぼくの顔から微笑みが消えなかった。ぼくたちも車でオークランドに向かい、その夜、ぼくはデッドヘッドになった。

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あの日から1年8か月後、あなたが「特別な年だと知っている」と言っていた1995年の8月にあなたは亡くなりました。あの日一緒に撮った一枚の写真をたいせつに持って、ぼくはまだ生きています。(大人になってから撮った写真で、ぼくがこんなに素直ないい笑顔を見せている写真はほかに一枚もありません)

ぼくが昔書いた『ワンダフル・バースデイ』という本の一部を今日、あなたの誕生日のためにTwitterに載せてくれた人がいたので、それをそのまま引用します。


あなたに祝福の朝を。あなたに祝福の雲を。あなたに祝福の風を。
あなたに祝福の花を。あなたに祝福の抱擁を。
あなたに祝福の贈りものを。あなたに祝福の音楽を。

ハッピー・バースデイ。
あなたにたくさんの不思議に満ちた一日を。
すばらしい誕生日を。

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テラピン・ステーション

2012.07.28 Saturday

アルバム『テラピン・ステーション』が発表されてから、今日で35周年になるということをフェイスブックで知った。ほんとうにひさしぶりでスタジオ録音版を聴いて感動したので、ブログにも書いておこう。35年前の7月に出たのだけど、その前に20回ほどはすでにライヴで演奏されていた。当時からデッドの世界では珍しいことじゃなかった。

『テラピン・ステーション』
アルバムのB面は、長い組曲『テラピン・ステーション』に割り当てられていて、ポール・バックマスターが指揮する合唱団、オーケストラと共に録音された。組曲のオープニング『レディ・ウィズ・ア・ファン』は、ダイアモンドのように輝くギターが、ケルトの飾り結びのように緻密に織り込まれ、デッドの過去の録音の中でもこの上なく美しい曲だ。

スーザン・ドブラ(英語学教授):
『レディ・ウィズ・ア・ファン』について
古代の詩人は、聴衆の魂に向けて歌っていた。神話や歴史上の英雄たち、怪物、神々、悪霊などを呼び出して、彼は聞き手の頭と心に原初のヴィジョンを出現させた。心を奪われて聞く人々は、時間と空間の日常的な限界を超えたところへ運ばれて行く。そこで彼らは、終末の戦闘と啓示、勝利と敗北が再現されるところを目撃する。詩人と聴衆たちは共同で、運命の盛衰する王国を創造し、そこに照明を当てるのだ。
スタジオ・バージョンの『テラピン・ステーション』は、相互に連結した7つのパートで構成されている。耳になじんだオープニング、煌めく5音のギター・リフが、まるで宝石箱を開けるように、これから始まる『扇を抱く貴婦人(レディ・ウィズ・ア・ファン)』の物語へ連れていく。歌の最初の4行は、古典的な祈りの詩の伝統に従っている。ホメロスやミルトンや他の多くの文化の叙事詩人たちと同様に、物語を伝える詩人を導いてくれる詩神を呼び出すことから始まる。
「私のインスピレーションを流れるままに/象徴的な韻律と暗示的なリズムで/最後まで見捨てることなく/私が物語を語り終えるまで」
ロバート・ハンターの世界観の特徴は、現実的などんな神にも呼びかけたりせず、詩的なイマジネーションそのものを呼び出すことだ。(中略)
語り部はその決定を聞き手にゆだねて、物語は終わる。伝統的な物語「貴婦人か虎か?」をしのばせる展開だ。あの物語も結末は読者あるいは聞き手にゆだねていた。
「語り部は選択しない/まもなく彼の声は聞こえなくなる/彼の仕事は灯を消すこと/指図することではない」
物語の結論を伝える責任を放棄するということは、創作の共同作業への招待であり、それがグレイトフル・デッドの制作様式だ。物語に意味を付け加えていくのは、聞き手のコミュニティの側だ。時代の変化に適応させながら、その物語を世代から世代へと語り継いでいく側の役割だ。登場人物たちはどこにでもいる。
『レディ・ウィズ・ア・ファン』は創造を祝福する物語であり、神秘を探索する物語だ。


  terrapin.jpg

Photo by Sennen Kono from the book
"Thank you for a real good time"

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聖餐(サクラメンツ)

2012.07.21 Saturday

このDVDボックスには『クロージング・オブ・ウインターランド』(2枚組)も収められている。デッドの拠点だったウインターランドの閉鎖が決まり、その最後の日1978年12月31日の越年ショーを記録したものだ。

午前0時を迎えるとき、会場の天井から巨大なマリファナのジョイント(吸いかけ)が降りてくる。時の翁に扮したビル・グラハムがそれに乗っていろんなものを会場にばらまき、この日のショーでオープニングを務めたブルースブラザーズのダン・エイクロイドがカウントダウンを数える。
ジョイントがステージに到着し、デッドが1曲めの『シュガー・マグノリア』を演奏し始めた途端に天井から無数の風船が際限なく舞い降りてくる。風船にはすべて笑気ガスが詰められていたと伝えられる。それを知っているファンたちは風船を割り続け、やがてウインターランドはガスが充満し、1曲めが終わるころにはステージの上のメンバーたちも全員がニコニコとしている。
こうやって始まったショーは実に3セット、幾度も幾度もピークを迎えて夜明けまで続き、ベイエリアではテレビとラジオで生中継されたのだった。

  winter 1*.jpg  winter 2*.jpg

ローマ帝国の興亡のように、ロック帝国の興亡があるとすれば『クロージング・オブ・ウインターランド』はロック帝国のいちばんの興隆期を残した貴重なドキュメンタリーだ。

夜が明けショーが終わり、ビル・グラハムが心に沁み入る挨拶をして、ファンたちは全員、「朝食」入りの袋をもらってサンフランシスコの元日の朝に散っていった。

聖餐(サクラメンツ)
ネイティヴ・アメリカン・チャーチの人々と同じように、マリファナや幻覚性物質を「ドラッグ」と呼ぶのを好まないヘッズもいる。「ドラッグ」は病気や乱用や法の強制などを連想させるので、彼らは「聖餐(サクラメンツ)」という言葉の方を好んでいる。こうした物質を使用するときに払われる敬意や厳粛さを表すのには、この言葉の方がふさわしいからだ。



         (続く)

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プロフィール
本名・長野眞
フライ・コミュニケーションズ代表

1948年生まれ。1971年上智大学を卒業後、新聞記者、コピーライターの仕事を経験し、シカゴに留学。帰国後「日本国憲法」(小学館)を共同編集したことで本を作る楽しさを知り、北山耕平とともにフライ・コミュニケーションズを設立。斬新でユニークなアイデアと感性で、数多くの作品を企画、編集、執筆する。2009年世界にたった一冊の本をつくる「ニュー・グリーティングブックス」のHPを開設。10年間横浜の小さな森の中で自然とともに暮らし、現在は鎌倉の海辺で閑かな日々を過ごしている。
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