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投票に行こう 2
2013.07.19 Friday
7月21日の投票日が近づくにつれ嫌な噂があふれてきた。
原発を再稼働させる? 原発を輸出する?
憲法9条を実質ないものにする?
国防軍を作る? 軍法会議を設置する?
TPPに全面参加する?
身の毛もよだつような怖い話ばかりだ。
この国はいったいどこへ向っているのだろう?
しかしおびえてなんかいられない。
ごくごく自然にふるまって、正々堂々と選挙に行き、強い意志を示してこよう。
(Thanks,Dave.)
優雅に年をとる
2013.07.01 Monday
いつものことだけど、デーブ・スペクターからメールで記事(日刊ゲンダイ)が送られてきたので、ぼくはそれに「ジュリー、最高だね」とだけ書いてFBに載せた。
すると驚くほどの数のシェアが続いているので、ブログにも残しておくことにした。
ジュリー(沢田研二)のこのところの活動ぶりは「優雅に年をとる(aging gracefully)」 とはどのようなことかを、身をもって見せてくれているようだ。
年をとったジュリーがかっこいい、という声も数多く聞こえてくる。
ジュリーの反原発の歌、憲法九条を思う歌は探せばYouTubeでも聴けます。
紫陽花革命がいい
2012.06.29 Friday
このブログを読んでくれている人なら、それも熱心に読んでくれている人なら、ぼくが紫陽花が大好きな男であることをご存知でしょう。何度も書いてきましたから。
だから現在、原発再稼働に反対する活動が「紫陽花革命」と呼ばれようとしているというニュースがうれしくてなりません。今夜も首相官邸前には多くの心やさしい革命家たちが集結するそうです。まったく新しいジェネレーションによる、まったく新しい革命です。
前回の日記で、メキシコ五輪で星条旗にこぶしを突き立てたトミー・スミスのことを書きました。近く開かれるロンドン五輪で、日本人アスリートの誰かが「原発再稼働を決めようとしている」日本国家に対する抗議として、表彰台から日の丸にこぶしを立ててくれないものか、と願っています。相当なバッシングを受けるでしょうが、いつかは「紫陽花革命」の英雄になるのは間違いありません。
横浜の森に引きこもっていた10年間に、一度だけ雑誌に原稿を書きました。
100年後に生きる安野雲(Unknown)さんに宛てたメッセージで、その中で「21世紀初頭を生きるぼくたちは、何かまだ名づけられていない革命の中にいる気がする」と書きました。
もしそれが「紫陽花革命」という歴史に前例のない美しい名で呼ばれることになったのなら、何よりです。
安野雲さんへのメッセージは、こちらで読めます。
土光敏夫と原発 3
2012.01.10 Tuesday
ぼくがこの森に入って間もないころ、土光敏夫宅の整理を手伝ったことがある。
二階の押し入れの雑貨を片付けていたら、一本の円筒が出てきた。中を開けてみてびっくりした。土光に授与された「勲一等旭日桐花大授賞」の賞状(?)だった。昭和天皇のサインのあるものが額装もされず、押し入れに無造作に放りこまれていたのだ。
叙勲されるのをずっと嫌がっていたとは聞いたことがあったが、噂はほんとうだったのだ。
なんてかっこいい人だったんだろう、と感動したほどだった。
これはその後家族の手で額装されたらしく、今回肖像画類が運びこまれたとき一緒にぼくの家に運ばれてきて、今もここにある。
今回はじめて知ったのだけど、叙勲は中曽根康弘が総理のときに行われたのだね。
中曽根は「原子力の平和利用」というアメリカの意向を受けて、原発推進の先頭に立ってきた政治家だったし、土光をその仲間に引き入れた人物だった。
そもそも岡山の貧しい農村を出て、財界のトップにまでのぼりつめた土光は、母親からの教えである「個人は質素に、社会は豊かに」を終生守り抜いた人だった。
「安全で安価でクリーンなエネルギー」と謳われていた原発に「国民の暮らしのために」飛びついたのも無理はない。
中曽根は「土光行革」の生みの親でもある。
こんな政治家たちに徹底的に利用されたという点で、お気の毒な経済人だった。
「東芝はつぶれても、原発をつぶしてはいけない」と土光に語らせたその東芝は3.11の前後の時期に、空前の利益をあげていると発表された。そしてその後、東芝は代替エネルギーの開発に方針転換するとも報じられた。
中曽根も3.11以降、原発推進を反省するような談話を出したらしい。
土光敏夫はあの叙勲の2年後に没した。
死んだ人間はもう考えを変えることはできない。
土光行革のころ彼が語った印象的な言葉がある。
「俺は5,6年もしたら地獄の釜の底にいるだろう。10年先、20年先の日本を動かすのは若い君たちじゃないのか。俺はその時日本を君たちがどう動かしているか、地獄の釜の底から見ているぞ」
3.11によって、日本という国家自体が地獄に転げおちかねない状況の現在を、土光敏夫は地獄の釜の底からどのように見ているのだろう。
(『土光敏夫と原発』の連載はこれで終了します)
土光敏夫と原発 2
2012.01.06 Friday
経団連の会長時代に、土光敏夫は財界クラブの記者団を福島原発に連れていき、安全性を説明したことがある。冷却水が海水を汚すことはありませんか? という問いに対し、
「冷却水は原子炉の水とは全然区分され、二次的に廻って冷却するだけで、冷却水が原子炉の中の水と混じることはない構造になっている。そこで、二次冷却水のパイプに仮に穴があいても、圧力差で放射能の含まれている水は、冷却水に入ってこないから心配ない」
と答えている。爆発の危険性については、こう答えた。
「もし自動制禦装置が故障して原子炉の運転が続けられてしまった場合、炉心の水が全部蒸発してしまう。水が蒸発してしまえば、自然に核分裂は起こらなくなって、原子炉は活動を停止するので、安全だ」
人類史に残る3.11の大事故のあとの、原子力発電についての知識を十分に得たあとの日本人にとってはまったく机上の空論にしか聞こえないが、当時随行していたスタッフは、
「土光さんのようなエンジニア出身の人物は記者団にも経団連事務局にも一人もいなかったので、土光さんの原子力発電に関する博学さに感銘していた」と書きのこしている。
さらに「東芝はつぶれてもいいが、原発をつぶしてはならない」という発言もしている。
財界の大物がそこまで言ってくれたことで、原発推進派の政治家たちが大いに勢いづいたとも伝えられている。
土光敏夫宅が取り壊される直前に、彼の肖像画や肖像写真が大量にわが家に運びこまれた。
功なり名を遂げた人物が大きな肖像画に描かれていた時代がつい最近まであった、ということに思いを馳せながら、絵や写真を眺めている。
土光敏夫と原発 1
2012.01.04 Wednesday
年末から年初にかけてぼくのブログ『森はまだ生きているのだろうか』に大量のアクセスがあった。影響力のある人のブログで紹介されたのがきっかけのようだ。
ぼくのは7月のブログなので読み直してみたが、訂正する点は何もなかった。
その後『森を出ていこう』という日記も書いている。
森が森でなくなってきたことが近くここを出ていく最大の理由だが、出ていく理由はそれだけではない。そのうちのひとつを書いておこう。
森の中のこの家は、実は土光敏夫が住んでいた敷地の一角にある。
このブログのトップ写真のサンルームでぼくが座っている黒い椅子は、土光敏夫が生前座っていたロッキングチェアなのだ。
日記をずっと読んでくれている人たちはご存知だろうけど、ぼくは昔から「反原発」を貫いてきた。(サイドバーの<Nukes>というカテゴリーを読んでください)でも、日本が原発行政を推進していく上で土光敏夫が決定的な役割を果たした人だったことは、まったく知らなかった。3.11以降に初めて知ったことだ。
不勉強を恥じ入るしかない、
2011年の夏、土光敏夫が住んでいた家が取り壊された。
現在は跡地にマンションの建設が進められている。
TVや雑誌が「土光家の家の崩壊」を報じていたが、相変わらず「メザシの土光さん」「第二臨調の土光さん」という報道ばかりだった。2011年の夏だというのに「土光敏夫と原発」を語った報道をぼくは目にしなかった。
「ぼくが何か書いた方がいいのだろうか」と、友人の北山耕平に相談したら「拡散に協力するからぜひ書いてよ」と言われた。ところが北山耕平が病に倒れたため、のびのびになってしまった。(北山の病状を心配なさっている方たち、彼は東京に戻ってリハビリ病院で歩行訓練などをはじめました。心の中で応援してあげてください)
「土光敏夫と原発」は何回かの連載になります。
黒澤明が見た「悪夢」
2011.08.03 Wednesday
黒澤明の映画『夢』(90年、スピルバーグ提供)は彼の少年時代から見てきた夢を8つのエピソードにした幻想的で美しい映画だ。
たしか7つ目のエピソードが、富士山が爆発し原発が次々に爆発するという悪夢だった。
子どもを背負ったお母さんが「原発は安全で心配はない、と言っていた連中は許せない、しばり首にしてやりたい」と叫ぶ。
日本の現在を予見していた映画として、このエピソードの一部がYouTubeにアップロードされている。英語の字幕つき。削除されないうちにご覧ください。
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原発関連の日記が増えてきたので、
サイドバーのカテゴリーに<Nukes>を加えました。
放射能を含んだ雲?
2011.08.01 Monday
ノブ・ディランこと清水伸充の名前は、このブログを読んでくれている人たちにはおなじみだと思う。『1000の風』の連載時に『1000の風』の本の写真を連日送ってくれた写真家だ。
そのノブから写真が届いた。
「放射能を含んだ雲は、太陽の光を受けると違う色、違う輝きをもっているように思える」と、彼は言う。丹沢に沈む夕日を浴びる雲。3月17日の撮影だそうだ。放射能が大量に放出されていたと言われる時期だね。
ぼくの目にはよくわからない。
でも長年の自然ウォッチャーでもあるノブの目には何かが見えているのかも知れない。
みなさんの目にはどう見えるのか、アップロードします。
森はまだ生きているのだろうか
2011.07.27 Wednesday
この森に住みはじめて10年になる。
ここ数年は本来の仕事を再開したので、森に出ることは少なくなっていた。
でもそれまでの6,7年間は一年中毎日朝から外に出て、里山仕事、野良仕事、庭仕事をやっていた。だから四季それぞれこの森のどこで何が起きていて、ぼくが何をしなければならないか、は完璧に把握していた。
ところが3.11以降、森はすっかり顔が変わってしまった。
ぼくが知っている森ではなくなったのだ。
小鳥がこなくなったことは震災の一週間後に「沈黙の春?」という日記で書いた。状況はその後も変わっていない。小鳥たちは皆無ではないけど、ごくたまに1,2羽見かけるだけ。以前のように群れをなして飛んでくることはなくなった。
夏になってからはセミがいない。去年も酷暑のせいでセミが少ないと書いたが、今年は少ないのではなく、いないと言ってもいい。しかし皆無ではない。ときどきカナカナが一羽、ミンミンが二羽とか鳴いているのが聞こえるくらい。数えられるのがさみしいね。東京からきた小学生が「うるさーい!」と両耳をおさえるようなセミ時雨の森だったのに。
この森の蚊は数が非常に多く凶暴であると、日記に書いたことがある。
蚊もいなくなった。おとといは試しにノースリーブのTシャツに半ズボンという無謀きわまりない出で立ちで、森を20分ほど散歩した。去年までなら全身腫れ上がるほど刺されただろうに、両足を一カ所ずつ刺されただけだった。蚊が皆無でないとわかってほっとしたほどだ。
アゲハなどの蝶はわりに見かける。つい最近まで何ヶ月も安全なサナギに包まれていたからではないだろうか。
クモの巣がなくなった。去年までは家の周りを歩くのにも、長い棒を持って巣を払いながらじゃなきゃ歩けないほどクモたちはたくさんの巣を張りめぐらせていた。
今年は低い木陰をのぞきこんで探しても見つからない。皆無だ。
クモ自体が消えたのか、巣を張ってもつかまる虫がいないためやめてしまったのかはわからない。
この森が異常な事態であることは断言してもいい。
街のコンクリートやアスファルトに積もった放射能は雨が流してくれるけど、土や草むらに降る放射能は積もり続けるので危険だとも聞いた。
森は土と草むらの上に乗っかっているものなのだ。
昔教わった生態学の基礎の基礎はこうだった。
「虫や鳥や木が消え始めたら、次は人間が消えていく番だ」
ぼくたちは今、知らされているよりはるかに大きな危機の中で茫然と立ち尽くしているだけなんじゃないか、という思いは日々強くなっている。
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本名・長野眞
フライ・コミュニケーションズ代表
1948年生まれ。1971年上智大学を卒業後、新聞記者、コピーライターの仕事を経験し、シカゴに留学。帰国後「日本国憲法」(小学館)を共同編集したことで本を作る楽しさを知り、北山耕平とともにフライ・コミュニケーションズを設立。斬新でユニークなアイデアと感性で、数多くの作品を企画、編集、執筆する。2009年世界にたった一冊の本をつくる「ニュー・グリーティングブックス」のHPを開設。10年間横浜の小さな森の中で自然とともに暮らし、現在は鎌倉の海辺で閑かな日々を過ごしている。
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