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2016.01.17 Sunday

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えびす堂 初詣

2013.01.01 Tuesday

鎌倉の元日。駅前広場はバスも入れないような混雑状態だ。
鶴岡八幡での初詣なんてとても無理なので、本覚寺に出かけた。
鎌倉えびすと呼ばれる行事でにぎわっていた。

えびす様は商売繁盛、家内安全の神さま。
クジラやイルカなど「大きな魚」の神さまであるとも書かれていた :-)

「えびす堂」でお賽銭を入れ、鐘を鳴らし、手を合わせて、クジラが絶滅しないことをお願いして、甘酒を飲んで帰ってきた。
よく晴れた、のどかな、のどかな元日の午後。

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鎌倉にきて、そろそろ一年です。
横浜の森を出るときに援助をしてくれたみなさん、鎌倉にきてから援助をしてくれたみなさん、心から感謝をしています。
南風椎は体力もほぼ取り戻し、本格的に活動を再開する2013年を迎えました。

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クジラが好きだ 4

2010.02.17 Wednesday

クジラは日本人の貴重なタンパク源だ、と言う人がいる。
実際第二次大戦後から20年間ほどは、その通りだった。消費される全肉類の50%近くをクジラ肉が占めていた時期もあった。
しかしその後はウシやブタやニワトリに押され、消費は激減していく。
まだ商業捕鯨が行われていた70年代でも、クジラ肉の消費は全体のわずか数%にまで落ちていた。
日本人はもうほとんどクジラを食べていなかった。
ぼくのようにウシやブタやニワトリすべてを合わせたよりたくさんのクジラを食べていた日本人なんて、稀だったのだ。
調査捕鯨によるクジラ肉の備蓄は、3000トンとも6000トンとも言われている。
「日本の食文化を守る」ための調査捕鯨なら、クジラ肉をもっと安く市場に出してほしいと願っているぼくのような日本人も、きっと稀なんだろうね。



「クジラが好きだ」の連載もそろそろ終わりにしたい。

ぼくが言いたかったのは「調査捕鯨」というのは、なんだか非常に怪しいビジネスに見えるということ。
そして日本人が日本沿岸で日本古来の伝統的漁法でやる捕鯨なら、世界の誰も攻撃してきたりしないということだ。そのためにはまず日本の海を、クジラがたくさんやってきてくれるような美しい海に戻していくことが必要だ。



(『クジラが好きだ』の連載は、このページの右のサイドバーにある<Category>の中の<Whales>で全部読むことができます)





『だいじょうぶ』がニュー・グリーティングブックスに加わりました。








クジラが好きだ 3

2010.01.19 Tuesday

70年代にアメリカへ行ったとき、ぼくが日本人だとわかると「クジラ問題についてどう思う?」とよく聞かれた。ぼくは「クジラは大好きだよ。生まれてからこれまでに、たぶん一頭分は食べた」と冗談で答えていた。
面白がった連中がクジラの本や写真集を貸してくれるようになった。
本を読んだり彼らの話を聞くうちに、クジラが(食べ物としてだけでなく)どんどん好きになっていった。

はじめてのホエール・ウォッチングは、ボストン沖のケープコッドだった。
カート・ヴォネガットの息子マークのヒッピー仲間だったという人物がガイドをしてくれた。はじめて出会ったクジラはナガス(Fin Whale)だった。夢見るような旅だった。



はじめてクジラを見たときの思いは、のちに『あなたに会えてよかった』という本に書いた。日本人写真家として最初にクジラの写真集(『The Gentle Giant』)を出していた中村庸夫さんの写真で構成した。
本の見本刷りが届いたときぼくは「神」の展覧会をやっていて、四谷東長寺にいた。ちょうど会場にきていた小泉今日子さんにその本をあげた。
その半年後くらいに小泉さん主演のTVドラマがはじまり、主題歌を彼女が作詞していた。「あなたに会えてよかった」という歌だった。ドラマは一度だけ見たが、彼女はいつも外国のクジラの写真集を持ち歩いている編集者という役どころだった :-)


                          (続く)


写真はケープコッドのホエール・ウォッチング。 Photo by John Arsenault















クジラが好きだ 2

2010.01.10 Sunday

「日本人とクジラの長い歴史と伝統に、外国人の過激派が攻撃をしている」
水産庁とその天下り団体である日本鯨類研究所が、今回もそんな方向に世論を誘導しようとしているのが見え見えなので、何やら危険なものを直感してこの日記を書いている。

        
日本人とクジラはとても素敵な歴史を持っている。
しかしそのことは「外国人の過激派」はおそらく日本人以上によく知っていると思う。
まだ商業捕鯨が禁止されていなかった時代に、グリーンピースが日本の捕鯨船に対してだけは最後まで攻撃をしなかったのは、そのためだった。

日本でクジラ獲りには男たちが命をかけていた。
一頭のクジラを捕獲したら骨一本無駄にせずに使った。
だから一頭のクジラで村は一年間食べていけた。
クジラは神のように崇められ、日本各地に鯨神社があった。

縄文時代から日本人は鯨食をしていたと言われている。クジラと日本人の素晴しい関係は長く続いた。少なくとも明治時代の半ばまでは。
明治の半ばに日本政府はノルウェイ式漁法を採用することを決めた。
全国のクジラ獲りたちは大反対をした。死傷者が出るほどの反対運動が起きた。ノルウェイ式漁法は、クジラへの敬意のかけらもない、残酷な漁法だったからだ。

それ以来100年間の商業捕鯨/調査捕鯨は、日本の長い歴史伝統を踏みつぶした上に行われてきたものなのだ。
現在いったいどれだけの日本人がそんな歴史を知っているのだろう。

                         
                                                                          (続く)





南風椎のニュー・グリーティングブックスはこちらで。




クジラが好きだ 1

2010.01.08 Friday

ぼくはクジラが好きだ。わが家のトイレは、クジラの絵や写真、オブジェなどなどでクジラのギャラリーと化しているほどだ。



クジラの肉を食べるのも大好きだった。この日記を読んでくれている人の中にも、昔ぼくと一緒に渋谷の「くじら屋」で食事した人が何人もいると思う。味噌カツとか、竜田揚げとかね  :-)
「あなたとは、あなたが食べているもののこと(You are what you eat)」という教えを信じているぼくは、ずっとクジラになりたがっていたのだ。

でも80年代に商業捕鯨が禁止されたときは、ぼくは諸手をあげて賛成した。
シロナガスやナガスなどの大型クジラの頭数が激減していたことは、すでにあきらかだった。海の中で起きていることは、人間にとっては宇宙で起きていることと同じくらいに何もわかっちゃいないのだから、しばらくは猶予期間をおいて観察した方がいい。

クジラの肉が食べられなくなるのはさみしいけど、しばらくがまんすればいいだけの話だ。あの大衆食堂「くじら屋」もつぶれてしまうのだろうな、と思っていた。
日本国は商業捕鯨の禁止に反対していたけど世界の意見に敗れて、しかし調査捕鯨なるものを開始した。

その後驚くようなことが起きた。大衆食堂だった渋谷「くじら屋」がつぶれることもなく同じ場所で、粋な黒塀に囲まれた超高級料亭に変身してしまったのだ。
もう、とてもぼくが入れるような店じゃない。

いったい何が起きているんだ????
調査捕鯨っていったい、何なんだ????
疑問はずっとあったのだけど、20年間情報が何も出てこないので、謎は謎のままだった。
数年前からの「ねじれ国会」のおかげだったと思う。役所のさまざまな情報が出てくるようになったが、調査捕鯨に関しても知らなかった情報が次々と表に出始めた。

まず最初に出てきた情報は、調査捕鯨は「日本鯨類研究所」という団体によって行われていて、国から年間5億円の補助金が下りているということだった。なるほど、5億円あれば年に5頭や10頭のクジラを捕獲して生態調査をし、残った肉を「くじら屋」のような店に流通させることも可能なんだろうな、と思った。
だが次に出てきた情報は、ショックだった。「日本鯨類研究所」は年間600頭から800頭のクジラを捕獲していて、3年前には60億円の売上があり、500万円の純利益があったことがわかったのだ。
60億円のうち、純利益が500万円! 残りの59億9500万円がどこに消えたのかは情報が公開されなかったので、わからない。
わかったことは「日本鯨類研究所」が水産庁の天下り団体であり、その周辺にさらにいくつもの天下り団体を抱えているということだった。
「道路」や「年金」で見えてきたのと同じ構図が「捕鯨」にも見えてきたわけだ。

ぼくがこうした情報を入手したのは、ほとんどが新聞報道によっている。ぼくに届く情報なら今の時代、瞬時にして世界各地に届いていると思う。長い間静かだった海外の反捕鯨グループ(シーシェパードとかグリーンピースとか)の活動が最近また活発になってきたのは、そういう理由からだろう。
「道路」や「年金」は日本国内の問題なので、穏和な日本人は怒り狂ったりしないが「調査捕鯨」は南極海にまで出て行ってやっていることなので、外国人たちが怒っている。そういうことなんだと思う。

この話、長くなりそうなので、連載にします。


                        (続く)





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プロフィール
本名・長野眞
フライ・コミュニケーションズ代表

1948年生まれ。1971年上智大学を卒業後、新聞記者、コピーライターの仕事を経験し、シカゴに留学。帰国後「日本国憲法」(小学館)を共同編集したことで本を作る楽しさを知り、北山耕平とともにフライ・コミュニケーションズを設立。斬新でユニークなアイデアと感性で、数多くの作品を企画、編集、執筆する。2009年世界にたった一冊の本をつくる「ニュー・グリーティングブックス」のHPを開設。10年間横浜の小さな森の中で自然とともに暮らし、現在は鎌倉の海辺で閑かな日々を過ごしている。
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