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2016.01.17 Sunday

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果樹園コミューン

2012.01.20 Friday

70年代のはじめに大学を出たぼくは、新聞社に勤めた。就職してすぐに自分が会社勤めに向いていないこと、その能力がまるっきりないことがわかった。
そこで学生時代の友人たちに呼びかけた。仲間のひとりが秋田にりんごの果樹園をもっていたので、そこでコミューンをやろうというものだった。
とりあえず「果樹園」というタイトルの同人誌を作り、6人の仲間から原稿を集めてコピーして綴じた、限定6部で刊行をはじめた。
そのうちの一冊「第4号」が、引っ越し準備の作業中に出てきた。「奥付」によると72年の5月に出ている。責任編集がぼくで、表紙の絵、デザインもぼくがやっている。

表紙の絵がアップル・コンピュータのマークによく似ているのに笑ってしまった。
と言うのも最近読んだスティーブ・ジョブスの伝記で、彼も同じころにオレゴン州でりんごの果樹園を作ろうと夢見ていたことを知ったからだ。

    kajuen*.jpg

今週末に「果樹園」のメンバーだった伊藤保之が引っ越しの手伝いにきてくれる。来週は青山功が5度目の手伝いにきてくれるし、河野辰也は泊まりがけで手伝ってくれるそうだ。秋田在住の石川耿一と病を抱える加藤信行はこれないけど、応援してくれているはずだ。

ジョブスはりんごの果樹園作りには失敗したが、その後アップル・コンピュータを作って、世界一の企業に成長させた。
ぼくもりんごの果樹園コミューンを作ることには失敗したけど、そのかわり40年以上続いている、かけがえのない仲間をもつことができた。それはそれで偉大なことを成し遂げたのではないだろうか。





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Stay hungry. Stay foolish.

2011.10.25 Tuesday

どこかにあるはずなんだけど、と思っていたら本棚の隅から出てきた。
70年代半ばに出た『ホールアース・カタログ』の「最終版」と打たれた『ホールアース・エピローグ』だ。
傷んではいるけど、まだ持ってたんだね。
このカタログの裏表紙に印刷されていた言葉が「Stay hungry. Stay foolish.」
発行人のステュワート・ブランドからの「ラスト・メッセージ」だった。
しかし地球上にこのカタログの存続を必要としていた若者は非常に多かったため『ホールアース・カタログ」はこの号のあとも次々と発行されることになる。

 wwe cover*.jpg wwe end*.jpg

今回の死で「Stay hungry. Stay foolish.」を世界に広めたスティ−ブ・ジョブスと、この言葉を生んだステュワート・ブランドとの出会いは、60年代にブランドが主催したトリップス・フェスティバルでジョブスがグレイトフル・デッドらの音響助手を務めたのが最初とされてきた。
しかし年代的に見ると、ジョブスは当時まだほんの少年だったはず。
今日発売されたという彼の伝記にはそのあたりのことは書かれているのだろうか?

余談だけど、日本のメディアではJobsを「ジョブズ」と表記することにはっきりと統一されたようだね。
ネットを見ていても「ジョブス」と呼ぶ人と「ジョブズ」と呼ぶ人との間に、あきらかな世代格差があって面白い。ジョブスとジョブズ。まあたいした違いではないし、ぼくは長年使い慣れている「ジョブス」で押し通しています :-)


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ジョブスの死からのメッセージ

2011.10.07 Friday

8月の末にtwitterでこんな写真を紹介し「ジョブス、こんな状態だったんだ。感謝にたえません」とつぶやいた。CEOを辞任した2日後の写真だった。
近いうちに何が起きるのかあまりに明白な写真だったので、ブログには載せなかった。

     jobs*.jpg

ブログには書いていない話がもうひとつある。
実は半年前から悲しいことやトラブルが相次いで、ぼくも(ジョブスほどではないけど)激ヤセした。体重が10キロ以上減ってしまった。食欲がまったくないのだ。
痩せたせいで体力もなくなり、立ちくらんで昏倒したりすることもある。
危ないよなあ。独り暮らしだし。
あまり健康な状態とは言えないね :-)

ジョブスの死には各界から多くの言葉が寄せられている。
ぼくにはジョブスの死は、歴史的世界的な大きなトラブルシューティングに取り組み続けた果ての、壮絶な戦死に見える。
彼に比べるといかにもつまらないトラブルで気を失ったりしている自分が情けない。

昨日ニュースを聞いて、ぼくが個人的に彼から受けとめたメッセージはこうだった。
「小さなつまらないトラブルのせいで死んだりしないように」

昨日今日とこのブログにアクセスが殺到している。
多くは以前の日記『アップル・マニフェスト』と『アップルはなぜアップルなのか』を読みにくる人たちだ。twitter上で噂が広まったようだ。

まだ読んでいない方はこちらでお読みください。




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アップルはなぜアップルなのか?

2010.11.17 Wednesday

昨日からアップルのウェブページに謎めいたメッセージが書かれていて、ネット上をざわめかせていたが、10時間ほど前に発表された。iTunesでビートルズの楽曲を取り扱うことになった、という告知だった。

アップル(コンピュータ)社とアップル(レコード)社の間ではその社名をめぐって長い間さまざまなことが起きていた。成り行きを心配して見ていたのだけど、今回このようなかたちで両者が結びついたことは、単純に喜びたい。
若いころからアップルレコードの数々をおびただしい回数聴いてきたし、アップルコンピュータも APPLE II の時代から親しんできたからね。

    beatles.jpg

ジョブスとウォズニアックが小さな個人用コンピュータを作って売り出すとき社名をアップルにしたのはビートルズの会社のようにしたかったから、というのはよく知られている話だ。
一方アップルレコードの社名は、ビートルズがロンドンに作ったアップルブティックが発展したものだから、というのもよく知られている。
じゃあビートルズがなぜあのブティックをアップルと名づけたのか、については定説がない。

ここから先はぼくの推測だ。
ジョンとヨーコがインディカ画廊で出会ったとき、一個のかじりかけのリンゴが置かれていて高額な値段がついていたことに、ジョンはショックを受けている。
そして話をしたヨーコはビートルズについて何も知らず「彼女が知っていたのはバンドにリンゴという名前のメンバーがいるということだけだった。リンゴは日本語でアップルを意味していたからだ」ともジョンは回想していた。
アップルブティックが作られたのはふたりの出会いの翌年のことだ。
このふたつのできごとは、無縁とは思えない。

今や世界一の企業になったアップル(コンピュータ)の社名の由来の由来がもしかしたら「アップル・イコール・リンゴ」という日本語にあるのかも知れないというのは、日本語圏で生きるぼくにとってはたまらない推測だ。

     apple.jpg

インディカ画廊のリンゴは消えてなくなったので、ヨーコは1990年に「かじりかけのリンゴ」をブロンズの作品にして残しておくことにした。
写真は9個作られたリンゴのうちのひとつで、ぼくの手許に永久保存されている。




 keisen.jpg






iPad

2010.04.16 Friday

iPad の日本発売が一か月延期になったとか。
まるで日本史の進化が一か月遅れてしまうかのような騒ぎだ。

ちょうど一週間前の4月8日、友人からこんな写真を添付したメールがきた。
その日一日メールのやりとりが続いた。

     

 「日本初上陸の一台が届きました」

 「心の底から、うらやましい!!! 使いごこちを詳しく教えて」

 「妊娠した iPhone と思えばわかります」

 「妊娠してようと体型が崩れてようと、さわってみたい!!!」

 「南風さんの Classic おぼえてます」

などなど。
古い友人がこんなにうらやんでるのだから、
 「わかりました。この iPad はボクじゃなく南風さんが持つべきです」
とでも言って宅急便で送ってくれるかと期待したんだけどね。
まだ届かないよ、デーブ :-)






1984

2009.11.06 Friday

ジョージ・オーウェルの『1984』の新訳が出て、トマス・ピンチョンによる解説が話題になっている。今年は村上春樹の『1Q84』も出た。ちょうど四半世紀たったんだね。

1984年は他にも忘れられないできごとがあった。
この年の1月、スーパーボウル中継で流れた衝撃的な1分間のCMで、アップル・コンピュータ社は「この1984は、あの1984と何が違うのか」と語って、マッキントッシュの登場を告知した。



ぼくにとっては「衝撃的」どころではなかった。
1982年にフライ・コミュニケーションズを開いて、最初に事務所にきた「スタッフ」がAPPLE II(下の写真)だった。当時はマイクロコンピュータと呼ばれていた。
月賦を払うために、持っていたクルマを手離したほど高価だった。

そんなときに、マッキントッシュが現れた。APPLE II とは互換性がなかった。

「過去との互換性は画期的な製品進歩の抵抗である」という、スティーブ・ジョブスの考えによるものだった。

つまりわがAPPLE II は、あの1984年に突然過去の遺物と化してしまったのだ。
ようやく月賦を払い終えたばかりだったというのに :-)


→『マッキントッシュ1984』のCM




アップル・マニフェスト

2009.08.02 Sunday

選挙が近づいてマニフェスト、マニフェストとにぎやかだ。
政党のマニフェストの中身を読んでも「マニフェスト」って、すごく軽い言葉になった気がしてならない。

スティーヴ・ジョブスはアップル・コンピュータの創設者だが、しばらくアップルを離れていて、1997年に復帰した。その頃アップルの経営は最悪だった。復帰したジョブスが最初にやったのは「アップル・マニフェスト」というTVCMを作ることだった。
そのCMを見たぼくはすぐにアップル社に連絡し、日本語訳して一冊の本にしたいと頼んだ。カール・マルクスの『共産党宣言(コミュニスト・マニフェスト)』にも匹敵する、素晴しいマニフェストだったからだ。

そうやってできたのが『アップル宣言』(三五館)という本だ。
今はもう入手不可能な本なので、全文をここにアップロードしたい。この本ではぼくは「南風椎」ではなく「真野流」というもうひとつのペンネームを使った。
(以下の翻訳文は、無断転載を禁止します)

          



クレイジーな人たちを讃えよう。



はみだし者。反逆者。



トラブルメイカー。



四角い穴に打ちこまれた

丸い杭。



物ごとを違うところから

ながめている人々。



彼らは規則が好きじゃない。

現状を維持するなんて

気にもかけない。



称賛してもいい。

異議をとなえるのもいい。

発言を引用してもいい。

信用しなくたっていい。

美化しようと

中傷しようとかまわない。



だが、彼らを

無視することだけはできない。

なぜなら彼らは

物ごとを変えるからだ。



彼らは発明する。

想像する。癒す。



冒険する。創りだす。

インスパイアしてくれる。



彼らが

人類を前に進めるのだ。



たしかに

クレイジーにはちがいない。

そうでなければ、他のいったい誰が

無地のキャンパスに

芸術作品を見ることができるだろう?



いったい誰が沈黙の中に座って

まだ作られていない音楽を聞けるだろう?

あるいは

赤い惑星をじっと見つめて

車輪に乗った実験室を見ることができるのか?



私たちは

そんな種類の人々のために

道具を作っている。

クレイジーとしか見られない人々だが

私たちには天才が見える。



自分は世界を変えることができる

と考えるほど

十分にクレイジーな人たちが

ほんとうに世界を変えるのだ。



Think different.




(訳/真野流・北山耕平)



この本を出版して数ヶ月後、一冊の『アップル宣言』がぼくのところに届いた。
表紙をめくったページに、
「I love it!   Steve Jobs」
と、スティーヴ・ジョブスがサインをしてくれていた。
ぼくが作った本に他の人がサインしてぼくに贈ってくれるなんて奇妙なことなんだけど、とてもうれしかった。
今年ジョブスは激ヤセしていろんな噂が飛んでいたが、肝移植手術に成功してまた仕事に復帰したらしい。とりあえず、元気でいてくれてよかった。


   





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プロフィール
本名・長野眞
フライ・コミュニケーションズ代表

1948年生まれ。1971年上智大学を卒業後、新聞記者、コピーライターの仕事を経験し、シカゴに留学。帰国後「日本国憲法」(小学館)を共同編集したことで本を作る楽しさを知り、北山耕平とともにフライ・コミュニケーションズを設立。斬新でユニークなアイデアと感性で、数多くの作品を企画、編集、執筆する。2009年世界にたった一冊の本をつくる「ニュー・グリーティングブックス」のHPを開設。10年間横浜の小さな森の中で自然とともに暮らし、現在は鎌倉の海辺で閑かな日々を過ごしている。
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