湘南のサーファーやボーダーたちの間で彼の名を知らない人はいない。
最近、糖尿病の合併症で入院したと聞いて見舞った。何年も会ってなかったし、見舞うことも伝えてなかったのだけど、部屋に入っただけで「ナガノさんがきたことは匂いでわかったよ」と言っていた。その後左膝から下を切断したときも訪ねた。「これまで世界で最年長のスケートボーダーだったけど、これからは世界最初の義足のボーダーになれるね」と言うと「アメリカには両足が義足のボーダーがいるよ」と笑っていた。
義足ができてリハビリをしている病院にも訪ねた。話しているとき病室に役所の人たちがふたりやってきた。障害者になるニシオカに話があるようだった。そのうちのひとりが胸にバッジをつけているのをニシオカは見逃さなかった。
「あんたはナントカ部長かも知れないけど、おれはあんたの部下じゃないんだから、この部屋ではそんなバッジは外せよ」部長はあわててバッジを外していた。
ニシオカのこんなエピソードはたくさん知られていると思う。
ずいぶん前だけどぼくはニシオカが運転する車の助手席に座っていた。ご存知のように鎌倉は道が狭いのであちこちで道を譲りあわなければいけない。そのときの対向車の男が怒鳴ってきた。「どけよ。こっちは仕事で急いでるんだよ」
ルーフにサーフボードを積んでいたニシオカは怒鳴り返した。
「おお、こっちは遊びだよ。仕事は遊びより偉いのか? 金儲けしてるだけだろ? 協力したら金を分けてくれるのかい?」
対向車は黙って道をあけ、ニシオカは車を進めた。
声はでかいし、態度もでかい。
日本社会ではトラブルメーカーとしか思われないだろうね。
でもぼくにはナントカ部長や対向車の男こそトラブルメーカーであって、ニシオカが言うことはいちいち理にかなっていたと思う。
あのね、この世界は絶対誰かの気持ちが作ったもんなんだ。だから俺は俺の状況を自分で作る。リアリティってそういうもんだよ。たとえ体はやられても、俺のヴィジョンはやられてない。俺、殺されても死なないもの。
------- 写真と文『ザ・ブック・オブ・ローニン』(1986年)より
30年つき合ってきたニシオカの話はまだまだ書き足りない。
実を言うと彼が死んだなんて実感がまるでない。
ほんの数週間前に電話をくれたばかりなのだ。
]]>