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縄文庵式ゆべし
2009.12.31 Thursday
ゆべし(柚餅子)という食べ物は全国各地にいろいろあって、お菓子から珍味まで、材料も作り方もバラバラ。どうしてみんな同じ「ゆべし」と呼ばれているのかが不思議だ。
縄文庵で毎年作っている「ゆべし」は、もちろん珍味に属している。
まず柚子のヘタに近い上部を切って、中の実をくりぬく。
実を絞って汁を出し、その汁を味噌とクルミに混ぜ合わせる。
混ぜたものをくりぬいた柚子の中に詰め戻し、切った上部でふたをする。
和紙で包み、ひもで縛って囲炉裏の上に吊るす。
こうしてひと冬、囲炉裏の煙に燻すわけだ。
製作過程で一番やっかいなのは、クルミの木の下の草むらからクルミを拾い集めてくることなんだけど、今年は長老がそれをやってくれていたので、ラクだった。
4,5年前から作っているので手順もよく、25個のてるてる坊主が囲炉裏に下がった。
春になって、十分煙に燻されて、この白い和紙が真っ黒になったころ「ゆべし」を紙から取り出す。固くなった「ゆべし」をナイフでスライスし、酒のつまみにして飲む。
一朝一夕にはできない、最高の珍味だ。
煙草とか焚き火とか「煙の文化」に風当たりの強いご時世だけど、煙がもたらしてくれるかけがえのない幸福を忘れてはいけない。
縄文庵で毎年作っている「ゆべし」は、もちろん珍味に属している。
まず柚子のヘタに近い上部を切って、中の実をくりぬく。
実を絞って汁を出し、その汁を味噌とクルミに混ぜ合わせる。
混ぜたものをくりぬいた柚子の中に詰め戻し、切った上部でふたをする。
和紙で包み、ひもで縛って囲炉裏の上に吊るす。
こうしてひと冬、囲炉裏の煙に燻すわけだ。
製作過程で一番やっかいなのは、クルミの木の下の草むらからクルミを拾い集めてくることなんだけど、今年は長老がそれをやってくれていたので、ラクだった。
4,5年前から作っているので手順もよく、25個のてるてる坊主が囲炉裏に下がった。
春になって、十分煙に燻されて、この白い和紙が真っ黒になったころ「ゆべし」を紙から取り出す。固くなった「ゆべし」をナイフでスライスし、酒のつまみにして飲む。
一朝一夕にはできない、最高の珍味だ。
煙草とか焚き火とか「煙の文化」に風当たりの強いご時世だけど、煙がもたらしてくれるかけがえのない幸福を忘れてはいけない。
2009年を振りかえって
2009.12.29 Tuesday
個人的には、8年ぶりに仕事を再開したことが大きなできごとだった。
ニュー・グリーティングブックスという新しいカタチでの出版活動だ。この『森の日記』を書き始めたこともあって、懐しい多くの人たちとの再会が続いたのもうれしかった。
2001年、ブッシュ政権と小泉政権が誕生した年に、東京の事務所を引き払ってこの森に引きこもった。そして2009年、オバマ政権が生まれ日本でも政権交代が成功した年に仕事を再起動させたことに、何か「縁」のようなものを感じている。
仕事をほとんどまったくしなかった8年間だったが、2005年にたった一度だけ雑誌に原稿を書いた。『文藝』(河出書房新社)という雑誌の書評原稿だった。リレー書評という連載で、自分の本を紹介された著者が、次号で書評を担当するというもの。
ある方がぼくの本を紹介してくださったので、断ることができなかった :-)
しかもぼくの回が最終回ということで編集部からは「誰か死んだ著者」の本を紹介してくれませんか、と依頼された。考えた末、ぼくは「まだ生まれてもいない著者」の本を紹介することにした。
その雑誌を読みかえしてみたら、なんだか2009年に起きるさまざまなことを予測していたのでは、と思えることもあったので、ここに再録してみたい。
リレー書評 南風椎→安野雲
安野雲(あんの・うん)さん、
はじめてお便りします。
このリレー書評はお気に入りの本を紹介して、その本の著者に次の書評をバトンタッチしていくという趣旨のページです。
ぼくに順番が回ってきたのですが、困ったことにぼくが今いちばん読みたい本は、まだ書かれていません。著者はまだ生まれてもいません。
だからもちろん著者の名前なんて、わかるはずがありません。
そこで著者であるあなたのことを仮に「知られざる人(Unknown)」さんと呼ぶことにしました。
安野雲(あんの・うん)さん、たぶんあなたが生きている時代は今からおよそ100年後、22世紀が始まったばかりの頃でしょう。
あなたはひょんなことから100年前の日本、つまりぼくたちの時代に興味をもち、色々と調査を進めるうちにこの時代のことが大好きになり、ついに本を書くことを決心しました。
その調査の過程で、古雑誌の山の底から埃まみれで変色した『文藝 2005年夏号』をひっぱり出し、偶然このページを見つけたわけです。
出会えてよかった。
たった今ぼくが生きている時代のことを、いつの日か「あんな時代に生まれたかった」と思う人が現われるのだろう、と想像するだけでわくわくします。
安野雲さんが生きている時代はぼくたちの時代のことを、どんなふうにとらえているのでしょう?
あなたはあなたの本で、この時代をどう描こうとしているのでしょう?
まだ読んでいない本の書評をするわけにはいかないので、これから本を書こうとしているあなたに、何かひとつでも参考になることが書けるといいけど。
最近ある科学雑誌で読んだのですが、20世紀末から21世紀にかけてのこの時代は「かつてなかった巨大な変化の波にのまれて、人類は経験したことがないほどの苦悶とストレスを味わうことになる」のだそうです。
ご存じのように、今はパーソナル・コンピュータやインターネットの黎明期です。
嘘がつけない、正直者のコンピュータが、社会のすみずみまであっという間に行き渡ってしまったことが「大変化」の原因です。
この変化にうまく対応できない人々は失敗を繰り返し、かと言って新しくやってくるものはどれもまだ不完全なものにしか見えず、行く先の見えない変化に不安だらけになってしまうわけです。
実際、新聞の1面には「何かに失敗しちゃった偉い人たち」の写真が毎朝のように載っています。みんな深々を頭を下げて謝っています。
あれを見ていると、何やら大きな変化が起きていることだけは確かなようです。
まだ名づけられていないけど、何か大きな革命の中にいるような気もします。
もしかしたら安野雲さんの時代には、ぼくたちの時代は「なんとか革命の時代」とか呼ばれているのではないでしょうか? そしてきっとそれがあなたを惹きつけているのではありませんか?
でもだからと言って、ぼく自身が大きな変化の渦の中で苦悶とストレスを味わいながら眉間にしわを寄せて暮らしているかというと、全然そんなことはありません。
いつものように焼き魚と納豆と味噌汁の朝ご飯を食べ終わると、読んでいた新聞をたたんで、食器を洗い、金魚にえさをやったり、庭の掃除をしたり、散歩に出かけたり、机に向かって仕事を始めたり、といういつもの暮らしをたんたんと過ごしています。
もちろんぼくだって失敗はたくさんしますし、大きな不安を抱えることもあります。
ところがぼくは、
「失敗とはレッスンのこと」
「不完全とは個性的であるということ」
「不安とは大きな期待のこと」
などと考えてしまうタイプの人間なんです。
たんにぼくが苦悶する能力に欠けているだけなのかも知れません。
安野雲さんが生きている時代には「本」とか「本屋さん」とか「図書館」とか「出版社」とかは、一体どうなっているのでしょう?
まさか絶滅しているなんてことはないでしょう。
インターネット時代を迎え、膨大な量の情報がネット上を駆けめぐっていますが、大半の情報は日々、ただひたすら宇宙空間へ消えていってしまっているそうです。
ネット時代の基礎を作ったアメリカ西海岸の賢人たちは、このことを大いに憂慮しています。
大量のデータがCDに保存されていますが、10年か20年もすればこのCDの再生装置を見つけることすら困難になっているのは疑いないからです。
ぼくたちは、わけのわからない銀色の円盤を大量に作った人たち、と言われかねません。
「このままでは私たちの時代は、後の時代に何の情報も残すことができない。『沈黙の春』ではないけど、まったく無口な沈黙の時代になってしまう恐れがある」と賢人たちは言います。
どうすればアーカイヴを残せるのか、彼らの議論は続いていますが、中間報告として聞こえてきたのは、
「今のところ次の時代に情報を伝えるための最も安全で確実な方法は、紙にインクでプリントして、それをバインドして厚めの紙でカバーをすること」だそうです。
これはつまり、本です。
かんたんに火に燃えてしまう、水に濡れると破れてしまうような本が、こんなに頼りにされているというのは不思議な話ですが、本というメディアだけが次の時代まで確実に生き延びることができるというのは、本好きなぼくにとってはうれしい話でした。
だから安野雲さんが暮らすトゥモロー・ランドでも、紙の匂いの充満する本屋をぶらぶら歩きしながら、色んな本を拾い読みして回るという喜びは残っていることでしょう。
図書館に行けば、ていねいに編集され、緻密にデザインされ、みごとな職人技で印刷・製本された美しい本に出会うことができるでしょう。
たくさんの人たちと過ごしてきたことを表わす、すり切れた表紙を開けると、いつまでも色褪せない活字が並んでいます。指先で紙の感触を確かめながらページをめくっていき、さまざまな時代の人々の夢や現実に出会っていく。そんな喜びもまだ残っていることでしょう。
ところで安野雲さんの時代にもまだ、国家とか戦争とかはありますか?
地球の上に国境というヴァーチャルな線はまだ引かれたままですか?
ぼくが20歳だった頃、自分が21世紀を迎える頃には、つまりぼくが50歳を過ぎる頃には、国家だの戦争だのってものはとっくになくなっているに違いないと信じていました。
ところが50歳を過ぎた今でも、国境はむしろ多くなっているようだし、人間を大量に殺す方法ばかりが進化を続けているようです。
大変化の時代といいながら、世界も社会もがっかりするほど、変わりません。
変わっているとしても、ものすごく遅々としているというのが実感です。
でもぼく自身だって、ぼくが50歳になる頃には、たくさんの経験とたくさんの知恵をたくわえた素晴しい人間になっているに違いないと思っていたのに、バカな20歳のころのまま相変わらずバカを言ってバカをやって生きています。
これじゃあ、世界や社会ばかりを責めるわけにはいかないな、と思っている2005年です。
安野雲さんが書く本を読めないのは、とても残念です。
ぜひぼくたちの時代について、素晴しい本をものにしてください。
というわけでこのリレー書評は、100年後の安野雲さんにバトンタッチします。
あとは、よろしく。
南風椎、2005年
ニュー・グリーティングブックスという新しいカタチでの出版活動だ。この『森の日記』を書き始めたこともあって、懐しい多くの人たちとの再会が続いたのもうれしかった。
2001年、ブッシュ政権と小泉政権が誕生した年に、東京の事務所を引き払ってこの森に引きこもった。そして2009年、オバマ政権が生まれ日本でも政権交代が成功した年に仕事を再起動させたことに、何か「縁」のようなものを感じている。
仕事をほとんどまったくしなかった8年間だったが、2005年にたった一度だけ雑誌に原稿を書いた。『文藝』(河出書房新社)という雑誌の書評原稿だった。リレー書評という連載で、自分の本を紹介された著者が、次号で書評を担当するというもの。
ある方がぼくの本を紹介してくださったので、断ることができなかった :-)
しかもぼくの回が最終回ということで編集部からは「誰か死んだ著者」の本を紹介してくれませんか、と依頼された。考えた末、ぼくは「まだ生まれてもいない著者」の本を紹介することにした。
その雑誌を読みかえしてみたら、なんだか2009年に起きるさまざまなことを予測していたのでは、と思えることもあったので、ここに再録してみたい。
リレー書評 南風椎→安野雲
安野雲(あんの・うん)さん、
はじめてお便りします。
このリレー書評はお気に入りの本を紹介して、その本の著者に次の書評をバトンタッチしていくという趣旨のページです。
ぼくに順番が回ってきたのですが、困ったことにぼくが今いちばん読みたい本は、まだ書かれていません。著者はまだ生まれてもいません。
だからもちろん著者の名前なんて、わかるはずがありません。
そこで著者であるあなたのことを仮に「知られざる人(Unknown)」さんと呼ぶことにしました。
安野雲(あんの・うん)さん、たぶんあなたが生きている時代は今からおよそ100年後、22世紀が始まったばかりの頃でしょう。
あなたはひょんなことから100年前の日本、つまりぼくたちの時代に興味をもち、色々と調査を進めるうちにこの時代のことが大好きになり、ついに本を書くことを決心しました。
その調査の過程で、古雑誌の山の底から埃まみれで変色した『文藝 2005年夏号』をひっぱり出し、偶然このページを見つけたわけです。
出会えてよかった。
たった今ぼくが生きている時代のことを、いつの日か「あんな時代に生まれたかった」と思う人が現われるのだろう、と想像するだけでわくわくします。
安野雲さんが生きている時代はぼくたちの時代のことを、どんなふうにとらえているのでしょう?
あなたはあなたの本で、この時代をどう描こうとしているのでしょう?
まだ読んでいない本の書評をするわけにはいかないので、これから本を書こうとしているあなたに、何かひとつでも参考になることが書けるといいけど。
最近ある科学雑誌で読んだのですが、20世紀末から21世紀にかけてのこの時代は「かつてなかった巨大な変化の波にのまれて、人類は経験したことがないほどの苦悶とストレスを味わうことになる」のだそうです。
ご存じのように、今はパーソナル・コンピュータやインターネットの黎明期です。
嘘がつけない、正直者のコンピュータが、社会のすみずみまであっという間に行き渡ってしまったことが「大変化」の原因です。
この変化にうまく対応できない人々は失敗を繰り返し、かと言って新しくやってくるものはどれもまだ不完全なものにしか見えず、行く先の見えない変化に不安だらけになってしまうわけです。
実際、新聞の1面には「何かに失敗しちゃった偉い人たち」の写真が毎朝のように載っています。みんな深々を頭を下げて謝っています。
あれを見ていると、何やら大きな変化が起きていることだけは確かなようです。
まだ名づけられていないけど、何か大きな革命の中にいるような気もします。
もしかしたら安野雲さんの時代には、ぼくたちの時代は「なんとか革命の時代」とか呼ばれているのではないでしょうか? そしてきっとそれがあなたを惹きつけているのではありませんか?
でもだからと言って、ぼく自身が大きな変化の渦の中で苦悶とストレスを味わいながら眉間にしわを寄せて暮らしているかというと、全然そんなことはありません。
いつものように焼き魚と納豆と味噌汁の朝ご飯を食べ終わると、読んでいた新聞をたたんで、食器を洗い、金魚にえさをやったり、庭の掃除をしたり、散歩に出かけたり、机に向かって仕事を始めたり、といういつもの暮らしをたんたんと過ごしています。
もちろんぼくだって失敗はたくさんしますし、大きな不安を抱えることもあります。
ところがぼくは、
「失敗とはレッスンのこと」
「不完全とは個性的であるということ」
「不安とは大きな期待のこと」
などと考えてしまうタイプの人間なんです。
たんにぼくが苦悶する能力に欠けているだけなのかも知れません。
安野雲さんが生きている時代には「本」とか「本屋さん」とか「図書館」とか「出版社」とかは、一体どうなっているのでしょう?
まさか絶滅しているなんてことはないでしょう。
インターネット時代を迎え、膨大な量の情報がネット上を駆けめぐっていますが、大半の情報は日々、ただひたすら宇宙空間へ消えていってしまっているそうです。
ネット時代の基礎を作ったアメリカ西海岸の賢人たちは、このことを大いに憂慮しています。
大量のデータがCDに保存されていますが、10年か20年もすればこのCDの再生装置を見つけることすら困難になっているのは疑いないからです。
ぼくたちは、わけのわからない銀色の円盤を大量に作った人たち、と言われかねません。
「このままでは私たちの時代は、後の時代に何の情報も残すことができない。『沈黙の春』ではないけど、まったく無口な沈黙の時代になってしまう恐れがある」と賢人たちは言います。
どうすればアーカイヴを残せるのか、彼らの議論は続いていますが、中間報告として聞こえてきたのは、
「今のところ次の時代に情報を伝えるための最も安全で確実な方法は、紙にインクでプリントして、それをバインドして厚めの紙でカバーをすること」だそうです。
これはつまり、本です。
かんたんに火に燃えてしまう、水に濡れると破れてしまうような本が、こんなに頼りにされているというのは不思議な話ですが、本というメディアだけが次の時代まで確実に生き延びることができるというのは、本好きなぼくにとってはうれしい話でした。
だから安野雲さんが暮らすトゥモロー・ランドでも、紙の匂いの充満する本屋をぶらぶら歩きしながら、色んな本を拾い読みして回るという喜びは残っていることでしょう。
図書館に行けば、ていねいに編集され、緻密にデザインされ、みごとな職人技で印刷・製本された美しい本に出会うことができるでしょう。
たくさんの人たちと過ごしてきたことを表わす、すり切れた表紙を開けると、いつまでも色褪せない活字が並んでいます。指先で紙の感触を確かめながらページをめくっていき、さまざまな時代の人々の夢や現実に出会っていく。そんな喜びもまだ残っていることでしょう。
ところで安野雲さんの時代にもまだ、国家とか戦争とかはありますか?
地球の上に国境というヴァーチャルな線はまだ引かれたままですか?
ぼくが20歳だった頃、自分が21世紀を迎える頃には、つまりぼくが50歳を過ぎる頃には、国家だの戦争だのってものはとっくになくなっているに違いないと信じていました。
ところが50歳を過ぎた今でも、国境はむしろ多くなっているようだし、人間を大量に殺す方法ばかりが進化を続けているようです。
大変化の時代といいながら、世界も社会もがっかりするほど、変わりません。
変わっているとしても、ものすごく遅々としているというのが実感です。
でもぼく自身だって、ぼくが50歳になる頃には、たくさんの経験とたくさんの知恵をたくわえた素晴しい人間になっているに違いないと思っていたのに、バカな20歳のころのまま相変わらずバカを言ってバカをやって生きています。
これじゃあ、世界や社会ばかりを責めるわけにはいかないな、と思っている2005年です。
安野雲さんが書く本を読めないのは、とても残念です。
ぜひぼくたちの時代について、素晴しい本をものにしてください。
というわけでこのリレー書評は、100年後の安野雲さんにバトンタッチします。
あとは、よろしく。
南風椎、2005年
食べることは生きること
2009.12.27 Sunday
東京で暮らしていた頃は、自分でご飯を炊いたことがなかった。食事はぜんぶ外食か出前だった。この森にきてから初めて自分でご飯を炊くようになったが、いつも「無洗米」だった。
そんなぼくのところに京彩さんが、お米を送ってくれた。なんでもとてもおいしいお米を自分で精米したということだった。
お米を研ぐ、というのは子どものころ母の手伝いをしたとき以来だ。
一回目はやっぱり失敗した。ぼくは硬めのご飯が好きなのに、すごくやわらかいご飯になってしまった。あちこちに聞いてみると「新米は水分が多い」とか「長時間研いでいると米が水を吸収してしまう」などの情報が集まった。
二回目の挑戦で米研ぎに成功した。実にすぐれたご飯が炊けた。
ちょうどその頃、辛淑玉さんから大量のキムチが届いた。お手製のキムチを食べたい、と前からおねだりしていたのだ。ちょいとつまむと、これがすばらしかった。
こうしてぼくの食卓の上で、極上のご飯と天下一品のキムチが出会うことになった。
「手術台の上の、こうもり傘とミシンの出会いのように美しい」(ロートレアモン)というやつだね。
うまかった。ほんとうにうまかった。偉大な食事だった。
食の細いぼくがご飯をおかわりしたほど、うまかった。
キムチとご飯とお茶だけだったのに!
淑玉さんからのキムチにはメッセージが添えられていた。
その通りだね。
このところずっと、食欲と性欲と睡眠欲が競り合うような場面では、かならず睡眠欲が圧勝してきた、という日々だったもの。
来年2010年の目標は決まった。食欲旺盛な年にすること、だ。
心にとどいたこと
2009.12.25 Friday
「お金のない人は貧しいかもしれないが
お金しかない人よりは貧しくはない」
----- 北山耕平『地球のレッスン』(太田出版)より
白いクリスマスを心待ちにしていたぼくのところに
白いクリスマス・リースが舞いおりてきた :-)
クリスマス・メッセージ
2009.12.24 Thursday
天気予報によると、今日も明日も横浜は「晴れたり曇ったり」だとか。
ことしも「ホワイトクリスマス」の夢はかないそうもない。
その代わり、何年か前にこの森に降り積もった雪景色の写真を。
『メリークリスマス』の本を購入してくださったみなさん、ありがとうございました。
すでにお手許に届いていることと思います。
今日がクリスマス・イヴ。
まだ読んでいない方は、このページで読んでみてください。
http://greetings.jp/list/index.html
ページの下段に『メリークリスマス』があります。
「サンプルを見る」をクリックして下さい。
「この本を贈りたい人」の欄にあなたご自身の名前に「さん」をつけて入力下さい。
「START」ボタンを押して下さい。
本の右下にある「NEXT」を押しながら、ゆっくり読み進んで下さい。
全部で15見開きです。
入力したお名前がこちら側に記録されることはありませんし、もちろん無料です。
ぼくからあなたへのクリスマス・メッセージとして受けとめて下さい。
Happy Christmas.
(War Is Over If You Want It)
柚子湯
2009.12.22 Tuesday
冬至の日に柚子湯に入れば長生きするという。
しかし柚子湯が刺し傷を治してくれるかどうかはわからないので、バンドエイドを巻いた :-)
冬至の日の、湯治。
柚子をぜんぶ半分に切って湯に放りこんだ。
富山からの客にいただいた「大吟醸 幻の瀧」をぬる燗にして、湯舟に持ちこんだ。
湯舟という舟にゆらゆらと揺られて、
時間をかけて、ゆっくりと遠くまで旅をした。
昼間っから。
まったく。長生きするよ :-)
セクシーとは何か
2009.12.19 Saturday
焚き火の日記を書いたら「山茶花(さざんか)」のことを思い出させてくれた方がいた。早速、玄関前でいま満開の山茶花の肖像写真を撮った。
正岡子規が、いい俳句を作っている。
山茶花を 雀のこぼす 日和かな
椿は花ごとボタリと落ちるけど、山茶花は花びらが一枚一枚ハラハラとこぼれ散る。
美輪明宏さんが昔、セクシーとは何かと聞かれて、こう答えていた。
「ふれなば落ちん、という風情のことです」
さすがだね。美輪さんはそれしか言わなかったので、あとはぼくの解釈だ。
ちょっと頼めば落ちるかも知れない、と思わせる風情に人はセクシーなものを感じるのだろう。
ちょっと頼んだくらいでは落ちそうにもない相手には、セクシーさを感じない。
頼まなくても落ちそうな相手にも、セクシーさは感じない。
若い時分のぼくは、そんなふうに受けとめたものだ。
ふれるだけで落ちていく、山茶花のセクシー・ショット。
そう言えば「ふれなば落ちん、という風情の女性」にはながいこと出会ってない気がする。相手の側の問題ではなく、ぼくの側の問題なんだろうけど :-)
南風椎のニュー・グリーティングブックスはこちらで。
正岡子規が、いい俳句を作っている。
山茶花を 雀のこぼす 日和かな
椿は花ごとボタリと落ちるけど、山茶花は花びらが一枚一枚ハラハラとこぼれ散る。
美輪明宏さんが昔、セクシーとは何かと聞かれて、こう答えていた。
「ふれなば落ちん、という風情のことです」
さすがだね。美輪さんはそれしか言わなかったので、あとはぼくの解釈だ。
ちょっと頼めば落ちるかも知れない、と思わせる風情に人はセクシーなものを感じるのだろう。
ちょっと頼んだくらいでは落ちそうにもない相手には、セクシーさを感じない。
頼まなくても落ちそうな相手にも、セクシーさは感じない。
若い時分のぼくは、そんなふうに受けとめたものだ。
ふれるだけで落ちていく、山茶花のセクシー・ショット。
そう言えば「ふれなば落ちん、という風情の女性」にはながいこと出会ってない気がする。相手の側の問題ではなく、ぼくの側の問題なんだろうけど :-)
南風椎のニュー・グリーティングブックスはこちらで。
焚き火
2009.12.18 Friday
焚き火の季節だ。
焚き火は法律で禁止されているという人もいる。消防署の許可があればいいという人もいる。よくわからない。
一度、炎と煙が高くなり過ぎて、消防署の人がふたりきたことがあった。
この森では大量の落ち葉が出ること。剪定する枝や枯れ枝も多いこと。それを全部ゴミに出したら大変なので、ゴミ減量の目的からも燃やしているということ。
焚き火は法律で禁止されているという人もいる。消防署の許可があればいいという人もいる。よくわからない。
一度、炎と煙が高くなり過ぎて、消防署の人がふたりきたことがあった。
この森では大量の落ち葉が出ること。剪定する枝や枯れ枝も多いこと。それを全部ゴミに出したら大変なので、ゴミ減量の目的からも燃やしているということ。
天候や風向きには十分注意していること。残った灰は畑の肥料にしたり、陶芸の釉薬の原料として有効利用していること、などを話した。
消防署の人たちは「気をつけてやってください」と帰っていった。
ものわかりのいい人たちでよかった。
焚き火をやる理由として、消防署の人たちには話さなかったこともある。
炎の世話をして炎をコントロールして、真っ白な灰になるまで見届けるのは、とてもいいメディテーションになるということだ。
ブック・オブ・カラーズの『オレンジ』という本の中で、ぼくはこんなことを書いた。
消防署の人たちは「気をつけてやってください」と帰っていった。
ものわかりのいい人たちでよかった。
焚き火をやる理由として、消防署の人たちには話さなかったこともある。
炎の世話をして炎をコントロールして、真っ白な灰になるまで見届けるのは、とてもいいメディテーションになるということだ。
ブック・オブ・カラーズの『オレンジ』という本の中で、ぼくはこんなことを書いた。
昔々、月の下でたき火をかこみ
歌い、踊り、笑い
物語を語り合っていた人々がいました。
誰もがDNAのどこかに
そんな先祖をもっています。
南風椎のニュー・グリーティングブックスはこちらで。歌い、踊り、笑い
物語を語り合っていた人々がいました。
誰もがDNAのどこかに
そんな先祖をもっています。
チャンパ王国からきたチャボ
2009.12.16 Wednesday
いろいろな紆余曲折があって、縄文庵に5羽のチャボがやってきた。
「クリスマスに絞めて食べよう」などという過激な提案もあったが「そんなのやめようよ」という平和主義者たちの声が通って、温室で飼うことになった。
命拾いしたチャボたちの写真。
チャボは江戸時代に朱印船でチャンパ王国(現在のベトナムあたり)から渡来した鳥だ。
チャンパがなまって、チャボという名になったらしい。
チャンパ王国から渡来したのはチャボだけじゃない。
長崎チャンポンのチャンポンもそうだ。日本のチャンポンの食材にはウズラのゆで卵が不可欠だが、ご推察通り、チャンパ王国ではチャボの卵が使われていた。
チャンパ王国は数多くの戦いを経て、やがて地上から消えていく。
現地にいた日本人たちはチャンパ王国の壮絶な戦争を日本に報告した。その物語「チャンパの修羅場」が「チャンバラ」という言葉の語源になったことは言うまでもない。
:-) :-) :-)
ごめんなさい、冗談です。
えーと、チャボの写真の上の方、縄文庵にチャボがきたという話。チャボはチャンパ王国からきたという話はほんとうです。
写真の下の、チャンポンの話とチャンバラの話はまったく思いつきのホラ話です。
お許しください :-)
南風椎のニュー・グリーティングブックスはこちらで。
「クリスマスに絞めて食べよう」などという過激な提案もあったが「そんなのやめようよ」という平和主義者たちの声が通って、温室で飼うことになった。
命拾いしたチャボたちの写真。
チャボは江戸時代に朱印船でチャンパ王国(現在のベトナムあたり)から渡来した鳥だ。
チャンパがなまって、チャボという名になったらしい。
チャンパ王国から渡来したのはチャボだけじゃない。
長崎チャンポンのチャンポンもそうだ。日本のチャンポンの食材にはウズラのゆで卵が不可欠だが、ご推察通り、チャンパ王国ではチャボの卵が使われていた。
チャンパ王国は数多くの戦いを経て、やがて地上から消えていく。
現地にいた日本人たちはチャンパ王国の壮絶な戦争を日本に報告した。その物語「チャンパの修羅場」が「チャンバラ」という言葉の語源になったことは言うまでもない。
:-) :-) :-)
ごめんなさい、冗談です。
えーと、チャボの写真の上の方、縄文庵にチャボがきたという話。チャボはチャンパ王国からきたという話はほんとうです。
写真の下の、チャンポンの話とチャンバラの話はまったく思いつきのホラ話です。
お許しください :-)
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サンタクロース
2009.12.13 Sunday
小さなお子さんがいる方は、今日の日記は子どもに読ませないでください。
男の人生は3つの段階に分かれる、と言う。
最初は、サンタクロースを信じている時期。
次は、サンタクロースを信じなくなる時期。
最後は、自分がサンタクロースになる時期だ。
ぼくは子どもがいないので「サンタになる」ことだけはないと思っていたのに、よくしたもんだね、3年前、近くの幼稚園から「サンタになってくれませんか?」という依頼がきた。この幼稚園は農業を教えたり、シュタイナー教育をとりいれたりしている、ユニークな幼稚園だ。
「いいですよ」と、ぼくは気楽に答えてしまった。
そしてクリスマス会。
出番直前に園長さんから「250人の園児たちのほとんどが、本物のサンタだと信じてますから」とささやかれて、急に緊張が走った。
サンタの衣装はとても重くて、蒸し暑かった。
プレゼントが詰まった袋も、かつぐと倒れそうなくらい重かった。
写真はストロボをたいているので明るく見えるけど、実際の会場はぼくにほのかなスポットライトがあたっているだけの真っ暗闇。園児たちの興奮した大歓声は聞こえるが、ぼくの目には何も見えていない長い長いクリスマス会に思えた。
なんとか転ぶこともなくサンタ役をやり終え、控え室に戻ったぼくは全身汗だくで、動けないほど疲労困憊していた。
サンタという仕事がラクな仕事じゃないことだけは骨身に沁みた。
南風椎の本『メリークリスマス』はこちらで。
男の人生は3つの段階に分かれる、と言う。
最初は、サンタクロースを信じている時期。
次は、サンタクロースを信じなくなる時期。
最後は、自分がサンタクロースになる時期だ。
ぼくは子どもがいないので「サンタになる」ことだけはないと思っていたのに、よくしたもんだね、3年前、近くの幼稚園から「サンタになってくれませんか?」という依頼がきた。この幼稚園は農業を教えたり、シュタイナー教育をとりいれたりしている、ユニークな幼稚園だ。
「いいですよ」と、ぼくは気楽に答えてしまった。
そしてクリスマス会。
出番直前に園長さんから「250人の園児たちのほとんどが、本物のサンタだと信じてますから」とささやかれて、急に緊張が走った。
サンタの衣装はとても重くて、蒸し暑かった。
プレゼントが詰まった袋も、かつぐと倒れそうなくらい重かった。
写真はストロボをたいているので明るく見えるけど、実際の会場はぼくにほのかなスポットライトがあたっているだけの真っ暗闇。園児たちの興奮した大歓声は聞こえるが、ぼくの目には何も見えていない長い長いクリスマス会に思えた。
なんとか転ぶこともなくサンタ役をやり終え、控え室に戻ったぼくは全身汗だくで、動けないほど疲労困憊していた。
サンタという仕事がラクな仕事じゃないことだけは骨身に沁みた。
南風椎の本『メリークリスマス』はこちらで。
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本名・長野眞
フライ・コミュニケーションズ代表
1948年生まれ。1971年上智大学を卒業後、新聞記者、コピーライターの仕事を経験し、シカゴに留学。帰国後「日本国憲法」(小学館)を共同編集したことで本を作る楽しさを知り、北山耕平とともにフライ・コミュニケーションズを設立。斬新でユニークなアイデアと感性で、数多くの作品を企画、編集、執筆する。2009年世界にたった一冊の本をつくる「ニュー・グリーティングブックス」のHPを開設。10年間横浜の小さな森の中で自然とともに暮らし、現在は鎌倉の海辺で閑かな日々を過ごしている。
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