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偶然の幸運に出会う能力
2010.12.31 Friday
このサンルームのドアの上にはご覧のような馬の蹄鉄がある。
昔、北海道の社台ファームを訪ねたとき、フジキセキ(富士奇跡!)という馬が使っていた蹄鉄を貰ったのだ。
こうやっておけば幸運を受けとめてくれると聞いて、ドアの上に打ち込んでおいた。
今年届いたクリスマスカードのひとつで、serendipity(セレンディピティ)という言葉を教えてくれた人がいた。浅学なぼくはそんな単語、聞いたこともなかった。
「偶然の幸運に出会う能力」という意味だ。
18世紀のイギリスの作家が生み出した造語だそうだ。
面白い言葉だね。
今日は大晦日。
明日から始まる新しい年も、みなさんの「偶然の幸運に出会う能力」にいっそうの磨きがかかることを祈ります。
猛暑の夏の抜け殻
2010.12.20 Monday
庭の草刈りをしていたら、木陰の草むらの中にこんな可愛い光景を見つけ、カメラを取りに行った。二本並んだ草の葉っぱの上に、一個ずつセミの抜け殻が乗っていた。
今年の夏の暑さは半端じゃなかった。
たぶんそのせいでセミの数が少なく、異様なほど静かな夏だった。ぼくだって外出するのがいやだったほどだから、セミの幼虫たちも地上に出るのがいやだったんじゃないだろうか。
そんな暑い夜に、地中でなかよしだった二匹が勇気をふるって一緒に外に出て、並んだ葉っぱの上で羽化し、夜明けのころに一緒に飛び立っていった。
そんな想像をさせてくれる光景だった。
ちょっとつまんでひっくり返し、雌雄を確認してみたい欲求もあったけど、さわらずにそのままにしておくことにした。
自然がときどき見せてくれる、小さな神秘だ。
夢のカリフォルニア
2010.12.14 Tuesday
1980年12月のニューヨークはひどく寒かった。
クリスマスの日にSOHOに住む写真家を訪ねることになった。クリスマスなのでタクシーは走ってないし、どの店も閉まっていた。身を切る暴風から逃げる場所もなく、倉庫街で遭難するんじゃないかと思ったほどだ。
クリスマス明けにデーブ・スペクターに電話をしてみた。あの頃彼は、ロサンジェルスで雑誌の編集者をしていた。
「LAにおいでよ。リンカーン・コンチネンタルで迎えにいくよ」と言う。
まさにママス&パパスの『夢のカリフォルニア(California Dreamin')』だ。あれも寒いNYの街角で暖かなLAを夢見ている歌だった。
LA空港に彼はほんとうにリンカーンで迎えにきた。ただしフロントガラスがないという凄い中古車だった。走るといくらでも虫が飛び込んできた。
運転しながらデーブはこんなことを聞いてきた。
「小さくて、黄色くて、泣いてるもの、なんだ?」
「何それ?」
「オノ・ヨーコ」
思い切り首を絞めてやった :-)
でもまあ、すごく落ち込んでいたぼくの気分を和らげようと、デーブなりに一生懸命考えてきてくれたジョークだったんだろう。
LAには一週間ほどいただろうか。
毎日毎日デーブが温かくもてなしてくれたし、毎日毎日カリフォルニアの太陽を浴びたおかげで、元気を取り戻して日本に帰ってきた。
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ジョンの誕生日に始めた「ジョン・レノン連載」はこれで終わります。
70回目の誕生の年、30回目の命日の年、この記念の年にぼく自身もこれまで書いたことのないことをたくさん書いて、ひとつ心の区切りがつけられた気がします。いろんな方がメールやコメントで「思い」を届けてくれました。たいせつにします。
13回もの連載を読んでくださって、ありがとうございます。
(読んでない方はサイドバーのカテゴリーの中の<John&Yoko>で全部読めます)
1980年12月9日
2010.12.09 Thursday
「あの日」のことはこれまで、どこにも一度も書いたことがない。
去年も「ジョン・レノンが死んだのは12月何日?」というブログを書いたが「あの日」にぼくがどこで何をしていたのかは書いていない。あまりにもセンチメンタルな話になるので、書きたくなかったのだ。でももう30年たつのだし、ぼくも恥ずかしがるような年齢じゃないので「あの日」のことを書いておこう。
ぼくはフリーライターだった。ほとんどの仕事は喫茶店でやっていた。
あの日1980年12月9日の午後は成城学園の喫茶店で原稿を書いていた。店では有線放送が流れていて、なぜかジョン・レノンの歌が流れたのだ。びっくりしたし、うれしかった。日本のラジオや有線でジョンの歌が聴けるなんて、まずないことだったからだ。
同じ店に長時間いるのは悪いので、別の喫茶店に移って仕事を続けた。するとそこでもまたジョンの歌が流れた。考えられない。おかしな日だな、と思った。
仕事を終えて狛江の家に戻ると、電話が鳴っていた。大日本印刷の佐々木くんで「ジョン・レノンが死にましたね」と言う。「嘘でしょ?」と答えて切ったらまたすぐに電話が鳴り、編集者の加藤さんが「ジョンが殺されたみたいだよ」と言った。
ちょうど夕方5時になるところだったので、テレビをつけてNHKのニュースを見た。ジョンのことなんて何も言わなかった。(やっぱりデマだったんだ)と安心してチャンネルをかえたら、民放のどこかでジョンの死を放送していた。ピストルで撃たれたと言っていた。
電話は鳴り続けていたけど、ぼくは家を出た。酒を飲まなきゃ、と思ったのだ。当時のぼくはまったく酒を飲まなかったので家にアルコールはなかった。到底受け入れられない現実から、酒の力で逃避しようとしたのだと思う。
狛江の駅の近くで3軒の店を回って酒をあおったが、まるで酔わない。
電車に乗って下北沢に行き、何軒かで飲んだが酒に弱いぼくが、全然酔わない。
また電車で新宿に行って飲み回ったのに、同じことだった。最後に入ったのがゴールデン街のバーだった。一度だけ誰かに連れていかれた店だ。狭い店に他の客はいなかった。カウンターの中にひとり女性がいたが知らない人だし話もせずに酒を飲んだ。その店は有線放送で歌謡曲が流れていた。ロスプリモスの『ラブユー東京』という歌が聴こえてきて、こんな歌詞が耳に入った。
明日からは あなたなしで
生きていくのね
なんとも陳腐な歌詞なのに、情けないことに、あの日はじめて涙があふれてきて止まらなくなった。場末のバーのカウンターで泣きはじめてしまった。恥ずかしいので店を出たらいっぺんに酔いが回ってきて、まっすぐに歩けなかった。あとは記憶にない。
飲み慣れない酒をいっぱい飲んだので、翌日は二日酔いと頭痛で一日中ふとんから出れなかった。ようやくふとんから這い出したら、その後何日間か何も考えずに抱えていた仕事をかたづけ、ニューヨークへ行くことにした。
なぜニューヨークへ? NHKはジョンの死を教えてくれなかったし、朝日新聞の記事も一面トップではなく、社会面の、それも3番目のサイズの記事だった。こんなところにいちゃいけない、と思ったのだ。
あの年のニューヨークは身も心も凍える寒さだった。
街中どこに行っても"Starting Over"が鎮魂歌のように流れていた。ニューススタンドの雑誌の表紙のほとんどがジョンだった。
VOICEだったのかSOHO NEWSだったのかRolling Stoneだったのかおぼえていない。編集部が1ページまるごと使ったメッセージ広告を出していた。
真っ白なページにたった一言だけが書かれていた。たった3つの言葉だけなのに、ぼくたちの気持ちを代弁してくれていた。メッセージはこうだった。
He touched us.
J.レノンとJ.アサンジ
2010.12.07 Tuesday
15才のころ、フィラデルフィアの女の子と文通をしていた :-)
その子が写真を一枚送ってくれた。ビートルズの写真だった。
ビートルズという「四人組のコーラスグループ」が人気になっているというのは新聞の海外ニュースで知ってはいたけど、写真を見るのは初めてだった。音楽も聴いたことがなかった。日本ではまだレコードが出てなかったからだ。
写真を見てぼくは右端にいる男がいいな、と思った。理由はわからない。男の名前がジョン・レノンであることを知ったのも、ずっとあとのことだ。
ぼくとジョン・レノンが初めて目を合わせた写真がこれだ。
そのあとのぼくはジョンに指を鼻の穴に突っ込まれて、ひきずり回されるような人生を送ることになる。そしてひきずり回されたことをほんとうに幸福だったと思うようになる。
女王陛下の前で"Twist&Shout"を歌う前に彼が語ったこと。
ポールの歌の詩の一部を変えて"I Saw Her Standing There"を永遠の名曲にしたこと。
レコードジャケットに全裸写真を使い、自分が包茎であると世界中に知らしめたこと。
新婚旅行のベッドの中から平和を訴えたこと。
"Imagine"では"No""No""No"というメッセージを伝えているのに、攻撃的にはならない表現方法があることを教えてくれた。
国王も国土も国境もない透明な国家"NUTOPIA"を設立し、インターネット時代の到来を何十年も前に予言してくれたこと。
などなどなどなど、ジョンに教わったこと、学んだことを書きつらねるだけで一冊の分厚い本になってしまうだろう。
しかし今でこそ「平和の殉教者」のような特別な場所に置かれているジョンだけど、ヨーコと一緒に素敵な平和運動をしていたころ、世界中のマスコミや大人たちはふたりのことを気が狂ったようなふたりとしてひどい目に遭わせていたということだけは忘れないようにしたい。
ジョンの誕生日にこのジョン・レノン連載を書きはじめたが、その間にウィキリークスの問題が世界中のメディアのトップニュースになった。
情報は自由になりたがっている、という信念のもとに世界を変えようとしているジュリアン・アサンジとウィキリークスは、ぼくの目にはジョン・レノンとビートルズのように見えている。ジュリアンがジョンのように殺されないことを祈りたい。
ジョン・レノン『祝福』
2010.12.04 Saturday
ハウスハズバンド時代のジョン・レノンは表立った音楽活動はしていなかったが、家の中ではピアノを弾いて作詞作曲し、テープ録音したりしていた。
それら未発表曲の一部はジョンの死後に発表されている。
『Grow Old With Me』はそんな歌のひとつだ。
1996年の春、ぼくはこの歌の訳詩だけで一冊の本を作った。ポケットオラクル・シリーズ(三五館)のひとつで『祝福』。『1000の風』の次に出た。
そばにいて
一緒に年を重ねてください
人生で最良の日々は
これからはじまる
---- 『Grow Old With Me』より(南風椎/訳)
ユニセフなどの協力も得て世界各地の年配のカップルたちの写真を集めて、本を構成した。ともに年齢を重ねてきた人たちの表情は、それだけで驚くような物語を語ってくれた。
15組のカップルが登場するが、1組だけ最後まで一緒に年を重ねることができなかったカップルの写真が入っている。ジョンとヨーコの写真だ。
「努力して保った関係は手をかけて作ったワインのように、十年後あたりから一年ごとによくなるものですよ」と、あとがきの中にヨーコさんは書いてくれた。
ジョンの死後発表された曲のうち『Real Love』と『Free As A Bird』には、残された3人のメンバーが音をかぶせて素晴しい歌が完成した。
実は同じ時に『Grow Old With Me』にも3人は音をつけたのだけど、権利関係か何かで今もって発表されずにいるという話も聞いた。もしそれがほんとうで、いずれ問題が解決したら「ビートルズの最後の曲」として出てくるのかも知れない。
写真(上)は、Cho Ddo-Woo(韓国)
(下)は、Sunil Kumar Dutt(インド)
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本名・長野眞
フライ・コミュニケーションズ代表
1948年生まれ。1971年上智大学を卒業後、新聞記者、コピーライターの仕事を経験し、シカゴに留学。帰国後「日本国憲法」(小学館)を共同編集したことで本を作る楽しさを知り、北山耕平とともにフライ・コミュニケーションズを設立。斬新でユニークなアイデアと感性で、数多くの作品を企画、編集、執筆する。2009年世界にたった一冊の本をつくる「ニュー・グリーティングブックス」のHPを開設。10年間横浜の小さな森の中で自然とともに暮らし、現在は鎌倉の海辺で閑かな日々を過ごしている。
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