スポンサーサイト

2016.01.17 Sunday

一定期間更新がないため広告を表示しています


  • -
  • -
  • -

岡本太郎さん

2011.01.07 Friday

1996年の正月に岡本太郎さんの会社から届いた年賀状には、気になることが書かれていた。岡本さんの長年のパートナーである平野敏子さんが岡本さんの養女になって、岡本敏子になると書かれていた。いったい何があったんだろう?

それからわずか一週間後の1月7日の夜。ぼくは事務所でひとりで仕事をしていて、岡本太郎さんが亡くなったという連絡を受けた。驚いて事務所を飛び出た。岡本さんの家までは1分もかからない。家の周りはもうマスコミが囲んでいた。家に入ると、喪服姿の日本美術界の長老たちでいっぱいだった。ジーパン姿のぼくはあきらかに場違いだった。
おろおろしていたぼくを見つけて、敏子さんがこっそり手招きしてくれた。
階段を上がっていく敏子さんについていくと、3階の部屋に案内してくれた。あの家に3階があることをはじめて知った。
3階の部屋のベッドで岡本太郎さんが眠っていた。おだやかな寝顔だった。

「人は恐怖から逃れることはできない。でも恐怖と仲よくすれば結構楽しくやれるぞ」

敬愛する岡本さんの作品からぼくが受け取っていたメッセージだった。
岡本さんとそんな話をしたことは一度もない。交わした会話は野球のこととか近鉄バファローズのことか、他愛もないことばかりだった :-)
生命の歓喜を讃え続けた岡本さんが永眠しているのを見るのは、不思議な気持ちだった。ほんの短い時間だったけど、岡本さんとぼくをふたりきりにしてくれた敏子さんには感謝している。

敏子さんはその後あの家を改造して「記念館」を作り、メキシコから壁画『明日の神話』を日本に帰郷させ「私の役割は終わりました」とばかりに、2005年に亡くなった。

         taro*.jpg

この写真はアートワークス#56岡本太郎号(1990)の表紙。撮影は井出貴久。
晩年の岡本さんの穏和な表情がいい。
今年は岡本太郎の生誕100年になるそうだ。
次回の日記ではアートワークス#56に寄せられた作品を紹介したい。


                        (続く)


 keisen.jpg






sponsored links
プロフィール
本名・長野眞
フライ・コミュニケーションズ代表

1948年生まれ。1971年上智大学を卒業後、新聞記者、コピーライターの仕事を経験し、シカゴに留学。帰国後「日本国憲法」(小学館)を共同編集したことで本を作る楽しさを知り、北山耕平とともにフライ・コミュニケーションズを設立。斬新でユニークなアイデアと感性で、数多くの作品を企画、編集、執筆する。2009年世界にたった一冊の本をつくる「ニュー・グリーティングブックス」のHPを開設。10年間横浜の小さな森の中で自然とともに暮らし、現在は鎌倉の海辺で閑かな日々を過ごしている。
NEW GREETING BOOKS

NEW GREETING BOOKS

再誕を、あなたの手で。
ご存知のグリーティングブックスが
ニュー・グリーティングブックスとして、生まれ変わります。
こんどは、世界に一冊だけの本。
本に新しい生命を吹き込むのは、
あなたです。

Twitter、Facebookもお楽しみください!

fb.png
最近のエントリー
アーカイブス
カテゴリー
search.png


コメント
ブックスタイトル
南風椎の代表作を紹介します
スケルトン・キー―グレイトフル・デッド辞典
スケルトン・キー―グレイトフル・デッド辞典 (JUGEMレビュー »)
スティーヴ シルバーマン,デイヴィッド シェンク
リンクス
アザーズ
qrcode