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2016.01.17 Sunday

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ロイ・オービソン

2011.05.31 Tuesday

ライブのビデオを見て、この会場にいたかったと思うことはひんぱんにある。
その極めつけがロイ・オービソンの "A Black & White Night" だ。
あの客席にいたかった、とビデオを見るたびに思う。

ロイ・オービソンは美しい声で美しい歌を数多く残してくれた。
でも彼の人生はけっして恵まれてはいなかった。奥さんや子どもを事故や火事で失うなど、次から次に不運にひっぱたかれるような人生だった。

 "A Black & White Night" のライブは87年にロサンジェルスで行われた。
ブルース・スプリングスティーン、エルビス・コステロ、ジェームス・バートン、k.d.ラング、ボニー・レイ、トム・ウェイツ、ジャクソン・ブラウン、J.D.サウザーら華麗なメンバーが「尊敬する先輩」のバックバンド、バックコーラスを務め、それぞれが幸せにひたっている表情がいい。ストリングスの人たちがロイと同じサングラスをしているのもいい。
ロイ・オービソンはこのライブの翌年に亡くなっている。
繰り返すが、どうしてぼくはあの客席にいなかったんだろう?

       roy*.jpg

 "A Black & White Night" で歌われた"Crying" (62年)
男が別れの悲しみを歌って、こんなに正直で率直できれいな歌をぼくは他に知らない。


君は行ってしまった
だからぼくは今から泣く 泣く 泣く 泣く
そう 君を思って泣く 泣く

------  ロイ・オービソン "Crying"






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ラモーンズ "ガバガバ・ヘイ"

2011.05.21 Saturday

何もかもが狂ってしまったような時代、正気を保って生きのびるには好きな音楽を聴くのが一番だ。好きな音楽は心のバランスを取り戻してくれるから。
だからこのところ音楽の話ばかり書いている。
ということで、今日は狂おしい時代にふさわしい狂おしい音楽の話を :-)

ぼくがラモーンズが好きだというと、不思議がる人が多い。何かイメージが違うらしい。実は彼らがCBGB'sで活動を始めたばかりの頃からの古いファンなのだ。
デビューしたての頃、ラモーンズの4人は「嫌いなバンドは?」と聞かれると、
「グレイトフル・デッド」と声をそろえていた。理由は、
「一曲が長過ぎる。自分たちの歌はスタジオで演れば2分半、ステージでなら1分半だ」
と言っていた。そのラモーンズが20年後にはなんと「パンクロック界のグレイトフル・デッド」(©Jim Bessman)と呼ばれるようになったのだから、おかしいね。

ぼくは昔雑誌に、
「ジョーイ・ラモーンは70年代のアメリカを代表する3大詩人のひとりだ」
と書いたことがある。
「あとのふたりはモハメッド・アリとジミー・カーターだ」と :-)
ラモーンズは好きなバンドというより、好きなポップ・アートだった。

一度ジョーイにインタビューするという仕事があったのだけど、スケジュールが合わなくて実現しなかった。そのとき代わりにやってくれた人がぼくのために貰ってきてくれたのがこのサイン入り写真だ。ジョーイももう亡くなったので、たいせつにしている。
ラモーンズのフロントの3人はみんな死んでしまったね。

     ramones*.jpg

ラモーンズの"Pinhead"をお聴きください。

Gabba gabba we accept you, we accept you one of us!

という歌詞があるが、これは映画『フリークス』からの引用だ。

トッド・ブラウニング監督の『フリークス』(32年)は奇形の人たちが大勢出演するということで、長い間上映禁止になっていた。


ぼくたちはみんな頭か心か体のどこかに奇形をもっている。

それがそれぞれの個性なんだよね。

ラモーンズとフリークスたちは、ぼくたちを招待してくれている。


ガバガバ

私たちはあなたを受け入れる。

私たちのひとりとして受け入れる。



→ Ramones "Pinhead"



→ 映画『フリークス』




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南風椎のニュー・グリーティングブックスはこちらで。








Eyes of the World

2011.05.17 Tuesday

世界のマスコミがこんなに日本に注目しているのも珍しいことだ。
原発事故だね。
日本での報道と世界の報道にこんな差があるのにも驚いてしまう。
「収拾に向かっている」という報道と「事態は悪化している」という報道だ。
「日本が日本を見る目」と「世界が日本を見る目」が大きく違っている。

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グレイトフル・デッドの代表作に"Eyes of the World"という歌がある。

Wake up to find out 
that you are the eyes of the world

グレイトフル・デッド学を研究する学者たちのひとりデビッド・ドッドは彼の著書の中で"eyes of the world"という言葉が過去使われた文献を列挙して、これは仏教の教えからの引用であると書いていた。
気になったのでぼくも調べてみたことがあり、法華経の「序品」に、
「汝は為れ、世間の目」というのが見つかった。
これだったんだ。
eyes of the worldとは「世間の目」のことだったんだ。

現代の日本では、
「世間の目がこわい」とか「世間の目から逃れる」
のように、世間は隣近所とか親類と職場とかわりとミクロな世界で使われている。
でも仏教語で世間とは山河大地とその間にあるすべての生き物を指している。

世間の目になれというのは、全世界的な視野、全生命的な視野をもて、という大きな教えだったのだろうね。

覚醒しなさい。そして知りなさい。
君が世間の目になったことを。

------グレイトフル・デッド"Eyes of the World"

YouTubeで名演奏を楽しんでください。
ステージの脇で妖精ダンスを踊る女性。火柱をあげ続けるスタッフ。ロビーで自作の詩を強い南部訛りで暗唱する青年。見所の多い10分です。
デッドヘッズと呼ばれる献身的なファンたちがはじめて一般の人の前に姿を見せた映画『グレイトフル・デッド・ムービー』(77年公開)の一部です。




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駄目だよ女、泣いちゃ駄目だよ。

2011.05.13 Friday

おとといがボブ・マーリーの30回目の命日だった。
70年代のいつだったのか、ボブ・マーリー&ウェイラーズがシカゴにやってきた。
会場はアップタウン劇場。今はもう廃墟になっているが、20年代に建った素晴しい装飾の劇場だった。ぼくはバルコニー席の最前列がとれた。

カーテンが開いたとき、ステージ中央の後部でひとりの男が下を向いてボンゴを叩いていた。しばらくの間ボンゴ・ソロが続き、そのうちに他のパーカッションがひとりずつゆっくりと加わってきた。やがてベース、ドラムス、ギター、キーボードなどの楽器もひとりずつ参加してくる。コーラスのアイランドガールズも加わり、音がだんだん分厚く塗られていった。
劇場は心地いいレゲエの大音量で満たされたのだけど、いつまで待っても肝心のボブ・マーリーが出てこない。

周囲の客たちがさすがに苛立ちはじめたころ、中央でボンゴを叩いていた男が立ち上がり、ドレッドロックの髪をかき上げながら、ステージ前方に躍り出てきた。ボブ・マーリーだった。彼は一番最初からそこにいたのだ。
劇場は熱狂的に総立ちになり、熱狂は最後の歌"Exodus"まで続いた。
政治集会のような、宗教儀式のようなコンサートだった。

その後もボブ・マーリーのコンサートには出かけたし、数多くのビデオも見てきたが、あんなコンサートは二度と見たことがない。忘れられない夜だった。

彼は81年の5月に亡くなった。ジョン・レノンが殺されたのは80年の12月だ。
わずか半年の間に強い影響力のあったふたりのミュージシャンが若くして亡くなったことに、ぼくは今でも疑問を抱いている。
81年の1月に元CIA長官のジョージ(パパ)ブッシュを副大統領にすえたロナルド・レーガン政権が誕生したことと何か関係があるのだろうか?

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ボブ・マーリーの"No Woman No Cry"をお聴きください。
駄目だよ女、泣いちゃ駄目だよ。
ブロークン・イングリッシュが公用語という運命を生きるジャマイカの人らしい、優しく美しい歌です。



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DON'T PANIC !

2011.05.11 Wednesday

今日5月11日はダグラス・アダムスという作家の10周忌になる。
若くして亡くなったんだよね。
『銀河ヒッチハイク・ガイド』に始まる4部作。この壮大なスラップスティックSFは、若いころのぼくにたくさんの奇想天外な笑いをくれた。

宇宙のはずれに、ちっぽけなみすぼらしい青い星がある。そこに宇宙のバイパスを通すことが決まり、その星(地球のことだね)は爆破されることになった。
爆破直前に情報を知ったひとりの地球人が星を脱出し、銀河系への旅に出ていく。
そんなふうに物語は始まる。

笑いをくれただけじゃなかった。
この物語では『ヒッチハイカーのための銀河旅行ガイド』という小熊座の出版社で作られた本が、主要な役割を果たしている。
この本の表紙には「DON'T PANIC !」と書かれている。
ぼくは銀河旅行はしなかったが、その後の人生の旅に「DON'T PANIC !」という言葉はずっと付き添ってくれたものだ。

         adams.jpg

大震災、大津波、原発の爆発というとんでもない事態にもかかわらず、日本の人たちがパニックにならずにいることに、海外のメディアは驚嘆していた。ぼくもそう思ったし、誇りにも思った。
日本人は、でも意気消沈して沈黙しているわけじゃない。
ネットを見て回っても、原発についてそれなりの情報を収集し、分析し、これまで何も知らされてなかったこと、自分が何も知ろうとしなかったことに、静かな怒りをこめて書いた文章に数多く出会う。

5月7日に渋谷で行われた反原発デモの映像も見た。
「これまでありがとう、原発!」
というようなシュプレヒコールが叫ばれていた。
とてもいいね。
冷静で沈着であるほど、怒りの力は大きくなるから。



今日5月11日はボブ・マーリーの命日でもある。
彼についても書きたいことがあるので、近いうちに。



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ザ・モッズのTシャツ

2011.05.07 Saturday

大震災の数日後、このブログで「祈ろう」という短いメッセージを書いた。

それが誰であれ、それが何であれ、
あなたが信じる神さまに祈ろう。

これを読んだザ・モッズの森山達也から電話があった。チャリティTシャツに使わせてほしいということだった。できれば英訳してほしいとのことだったので、デーブ・スペクターに頼んでシンプルな英文にしてもらった。

 mods*.jpg

ザ・モッズは今年結成30周年のツアーを続けている。
30年にもわたってピュアな(嘘のない)ロックバンドとしての旅を続けている。
大好きなバンドだ。
ライブ会場でこのTシャツを見かけたら、購入(義援)をお願いします。


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追記(5/25/11)

このところ「森山達也 病気」みたいな検索キーワードでこのブログにやってくる人たちが増えている。森やんが体調を崩していくつかのライブをキャンセルしたのを心配したモッズ・ファンたちだと思う。
森やんとメールのやりとりをしましたが、元気でしたよ。
日比谷野音で会いましょう、と約束しました。
 
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追・追記(6/8/11)

先ほど森やんと電話で話しました。
大変ではあるけど日比谷に向けて15日からリハーサルを始めるということです。
みんなで恢復を祈りましょう。

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プロフィール
本名・長野眞
フライ・コミュニケーションズ代表

1948年生まれ。1971年上智大学を卒業後、新聞記者、コピーライターの仕事を経験し、シカゴに留学。帰国後「日本国憲法」(小学館)を共同編集したことで本を作る楽しさを知り、北山耕平とともにフライ・コミュニケーションズを設立。斬新でユニークなアイデアと感性で、数多くの作品を企画、編集、執筆する。2009年世界にたった一冊の本をつくる「ニュー・グリーティングブックス」のHPを開設。10年間横浜の小さな森の中で自然とともに暮らし、現在は鎌倉の海辺で閑かな日々を過ごしている。
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