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ザ・モッズと博多ラーメン
2011.12.24 Saturday
12月21日は、モッズのコンサートで渋谷AXに出かけた。
このブログから生まれたメッセージ、
が背景に大きく掲げられていた。
前回の日記のタイトルにした『崩れ落ちる前に』も聴かせてもらえた。
超満員の聴衆。こんな幸せなライブもめったにない。
Photo by Hitoshi Hasebe
ライブのあと、メンバーとも会話ができた。ベースの北里晃一に、
「ブログ読んでますよ。昨日の日記は漢字を間違えとったでしょ」
と言われた。金正日と書くべきところを、金成日と書いていたらしい。
(その後訂正しました)インテリのキーコは見逃してくれないね :-)
帰途、一緒に出かけていた写真家の長谷部均に誘われた。
「ラーメンでも食べていきませんか、環八にうまい店がありますから」
驚いたことにそこは博多長浜ラーメンだった。
長谷部は何も知らずに誘ってくれたので、思い出話をした。
30年ほど前に雑誌の仕事で、ぼくはザ・モッズの九州ツアーを同行取材した。
そのとき生まれて初めて食べたのが博多長浜ラーメンだった。東京には博多ラーメンなんてほとんどなかった時代だ。
信じられないほどうまかった。
ぼくには九州の血が流れていることを初めて実感した日だった。
その日一日だけで、3回もラーメンを食べに行ったほどだ。
環八の長浜もうまかった。
日本で、世界で、そしてぼく個人的にもとんでもない2011年だったけど、最後の最後をモッズのライブと博多ラーメンで締められたのは、最高だった。
「今日はTwo Punksをやらなかったね」という話にもなった。
モッズファンたちの間の聖歌だ。今年東京での最後のライブでTwo Punksを聴けずに、後ろ髪を引かれる思いで帰った人も多かったのではないだろうか。
ロックの歴史で名曲に数えられる歌は、意識的であれ無意識的であれ、実際の体験に基づいて作られた歌が多い。Two Punksも例外ではない。
70年代、故郷博多の他のバンドが次々に上京していく中、さまざまな事情でモッズは博多に取り残されたままだった。Two Punksとは、森山達也と北里晃一のことだ。
聴きたくても聴けなかった人たちのために、まだ一度も聴いたことがない人たちのために、Two PunksをYouTubeで探しました。
メリー・クリスマス。
崩れ落ちる前に
2011.12.20 Tuesday
3.11直後のこのブログに書いたメッセージで、ザ・モッズがチャリティTシャツを作ってくれた。今度は同じメッセージでタオルを作って送ってきてくれた。
「長く続けます」という約束を守ってくれているようだ。
3.11以降、すべてが崩壊し始めた2011年だった。
昨日は金正日が亡くなったというニュースが入った。
ビンラディンが殺され、カダフィが殺されたのと同じ年のできごとだ。金正日も殺されたんじゃないか、という疑いの声が聞こえてきてもおかしくないのにね。
明日21日は渋谷までザ・モッズのライブに出かけることにした。ぼく個人にとっても、とんでもないことが次々と起きた一年だったし、元気をもらってこよう。
ザ・モッズのデビュー曲を、デビュー当時の映像で見てください。
グレイトフル・デッドから学ぶこと
2011.12.15 Thursday
前回の日記『ケン・キージーの本』にkahoruさんからのコメントがあります。
kahoruさんからの一回めのコメントは『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』という本に関する長い宣伝文にしか思えなかったので、一方的に削除してしまいました。ごめんなさい。
昨年夏、この本がアメリカで出てtwitterで話題になったとき、ぼくはこういうtweetをしました。
「成功を目的に演奏したことなんてない。でもぼくはBMWを買ったし、成功を楽しませてもらってるよ」(結成25年でデッドがはじめてのヒットを出したときのジェリー・ガルシアのコメント)
グレイトフル・デッドがマーケティングの上で音楽をやってきたバンドではけっしてない、ということだけは強く言っておきたい。誤解が生じる前に。
今年の秋には久信田浩之さんからこの本について糸井重里さんと雑誌で対談しませんか、という提案がありました。ブログを読んでくれている人たちはご存知のように、ぼくはこの夏から秋にかけて激ヤセして最悪の体調だったので、メールにご返事する気力も体力もありませんでした。久信田さんは古くからの友人なので、いずれお話すればわかってもらえると思い、今日までほったらかしにしてしまいました。久信田さんにも、ごめんなさい。
グレイトフル・デッドとそれを取り巻く世界から学べることは山のようにある、とぼくは信じています。英語圏ではデッドに関する名著も数多く出ていて、ぼくの本棚からも溢れ出ているほどですが、まったく翻訳されていません。ぼくが翻訳した『スケルトン・キー』も6つの出版社に断られて、7つめの工作舎からようやく出た本でした。
『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』もきっと面白い本なのだろうと思います。ただデッド世界がある程度認知されている国々ならこの逆説的なタイトルの本も一種のジョークブックとしても受け入れられるでしょうが、残念なことにデッドがあまり認知されていない日本でこの本のタイトルが広まってしまうことには、危機感を抱いてしまいます。
サイドバーの<Grateful Dead>でぼくのデッドへの思いを読むことができます。
これからも時おり(冗談まじりで)書いていくつもりです。
糸井重里さんには、もしお会いするチャンスがあればジェリー・ガルシアに関することでぜひお聞きしたいことがあります。
書き始めると長くなるので、それは次回の日記に回します。
-------------------------
追記(12/18)
次回の日記で糸井さんにお聞きしたいことを書く、と書きましたが引っ越し準備の混乱で参考資料が見つかりません。
正確を期したいので、身辺が落ち着いてからにします。
探している資料のひとつは、ジェリーの死後に出た彼の伝記(未訳)です。
もしお持ちの方がいたら、ご連絡かコメントをください。
グレイトフル・デッドを語るのは、彼らの音楽を聴きながら、おおらかな気分でやりたいものですね。
ケン・キージーの本
2011.12.13 Tuesday
毎日毎日、本の整理をしていると、思いがけない出会いがある。
こんなことにひっかかってるから、引っ越しの準備が進まないのだけど :-)
ケン・キージーの本が出てきた。FURTHER INQUIRY。
60年代、サイケデリックに塗り替えたスクールバスで西海岸を下りたり上ったりしていたメリープランクスターズの一員であり、作家。そのバスのハウスバンドがグレイトフル・デッドだった。バスの行き先はFURTHER(もっと遠くへ)と書かれていた。
ジェリー・ガルシアが死んでデッドが解散した翌年、残ったメンバーが開いたコンサートに出かけた。いつまで待ってもジェリーが出てこないのがさみしくて、ぼくは会場を出て回廊のブースを見て回った。
その中に「ケン・キージーの店」があり、アシッドテストのビデオやキージーの著作などを売っていた。スタッフはみんなコンサートの方に行ったらしくて、ひとりのおじさんが何か作業をしていた。よく見るとおじさんは本にサインをしているところで、さらによく見るとおじさんはケン・キージーその人だった。
書くとふくれあがるペンを使った素晴しいサインだったので、購入した。
このサイン本はキージーに貰ったわけじゃない。本人にお金を払って買ったのだ :-)
ぼくも著作があるのでごくたまにサインを頼まれることがある。
そのたびにキージーのサインを思い出して、あれ位心のこもった丁寧なサインができればいいのに、と思う。ままならないので、せめて心だけでもこめて書くようにしている。
ケン・キージーが死んで、この秋で10年たった。
電話をください
2011.12.12 Monday
なにかと気ぜわしいときにかぎってこんなことが起きてしまうのはなぜなんだろう?
ズボンのポケットに携帯電話を入れたまま、洗濯してしまった! 30分以上も。
電源も入らないので修理に出したが、データが復活できるかどうかはわからないとか。
携帯番号だけじゃなく、固定電話の番号も全部その携帯の電話帳に入れていて、バックアップもとっていなかった。お手上げだね。
とりあえず代替機を借りたけど、どこにもかけられない。
これまでぼくと携帯でつながっていた人たちはぜひ電話をください。
これまでと同じ番号でつながります。
ぼくはあなたの番号を持っていません :-)
あなたがここにいればいいのに
2011.12.09 Friday
ひと月以上、書類や原稿、本の整理、処分を続けているのに一向に片付かない。
数日前には書類の山の中からこんな絵葉書が出てきて、見入ってしまった。
10年以上前にアメリカの避暑地に立ち寄ったときに見つけたものだ。
絵葉書と言っても絵も写真もなく、ただ点字が打ち込まれているだけの葉書だ。どうやら目が見えない人が目が見えない知人に送るためのものらしい。反対面(宛名面)には英語とスペイン語で点字の意味が小さく書かれていた。
英語訳から翻訳してみよう。
ここにいる私自身をずっと夢見ていました。
今私はビーチに座って、波の音を聞いて、
顔と舌で潮風を受けています。
なにもかもが、可能に思えます。
あなたがここにいればいいのに。
感動して買ってきたのだけど、ぼくは送る相手もいないので、そのまま書類棚の奥に収まっていた。その葉書が10数年たってぼくのところに届いた気がした。
というのは、この翌日ぼくは湘南に出かけたのだ。
引っ越し先も決めずまだ一軒も探しに行ってないぼくに、友人が「空き家情報」をくれたからだった。湘南にはネットで知り合った知人やそのお友だちらが「情報」を持って集まってくれていた。数軒でもチェックできたら、と思っていたのに夕暮れまでに結局8軒もの家を見てまわり、クタクタになった。
初日だったし、まだこの土地に決めたわけじゃない。
10年暮らした森から出ていくのにはさまざまな思いがあるけど、森の外に出ればこうやっていい友人たちとの、新しい出会いも待ってるのだろうな、と湘南の海の風を顔に受けながら思った。
ハッピーバースデイ、耕平。
2011.12.01 Thursday
西丸文也と北山耕平のことばかり考えててもしょうがない。
ぼくはぼくで引っ越しの準備をしなきゃいけない。
そう思って大量の書類やビデオ、CDを捨てたり、古本屋さんに本を売ったりを始めた。
片付けるつもりが、家の中は逆に混沌状態になっている。
書類の整理をしているとき、こんな原稿が出てきて驚いた。
北山耕平が西丸文也について書いたものだ。懐かしいなあ。
ぼくたちは当時『写楽』という雑誌の仕事をしていたので、そこの原稿用紙を使っている。
200字詰めで50枚の原稿。
そもそもは写真集『ジョン・レノン 家族生活』を出すとき、さまざまなメディアにパブリシティをお願いした。そのとき『月刊 文藝春秋』から依頼されたのが、西丸文也をインタビューして原稿を書いてほしいというものだった。
北山耕平がインタビューをして、書き上げた。
ニシと呼ばれた「めりけんじゃっぷ」西丸文也がなぜニューヨークへ渡ったのか、何をして暮らし、どんな縁でジョンとヨーコに知り合えたのか、今読んでも時代を的確にとらえた、示唆に富んだすごく面白い読み物だ。
ところが『文藝春秋』は書き直しを要求してきた。
やりとりの詳細は記憶にないが、彼らがジョンとヨーコの「誰も知らないプライバシー」をもっと聞き出して書いてほしがっていたのはあきらかだった。無名の日本人ヒッピーの物語なんて、興味がなかったのだろう。
北山耕平は書き直しをいやがったし、ぼくも応じる必要はないと言った。
西丸文也だって、ジョンとヨーコの生々しいプラバシーをメディア関係者に話したくないだろうし、ぼくたちもそんな話は聞きたくもなかった。
写真集に載せた写真も「撮られている側が撮られていることを知っている写真」だけに絞っていた。西丸文也は隠し撮り写真なんて一枚も撮ってなかったけど、アングルによってはそう受け取られかねない写真もあったので、それらはすべて外して正々堂々とした本にしたのだ。
なのに『文藝春秋』からの要求は、内側から覗き見たジョンとヨーコの生活をあきらかにしてほしいというものだった。
当時の『文藝春秋』は(今でも?)日本一の発行部数を誇る、代表的な雑誌だった。
「日本ってマイナーがメジャー化して、メジャーがマイナー化しているんだね」
と北山耕平と話した記憶がある。
そんなわけでこの面白い原稿は日の目を見ることもなく、フライ・コミュニケーションズの書類棚に30年間眠っていた。それがこんなときに出てくるのだから、不思議だね。
北山耕平の容態は(家族によると)少しずつではあるけど回復に向っているよう、とのこと。意識が完全に戻ったら、彼と相談をしてこの原稿をなんらかのカタチで公開したい。先に逝ってしまった西丸文也へのいいはなむけにもなるし。
北山耕平、明日2日は誕生日だね。
30年間の付き合いなのに、まったく初めてバースデイメッセージを送りたい。
ハッピーバースデイ、耕平。
早く復活してください。たくさんの人たちが待ってるよ。
南風椎のニュー・グリーティングブックの『ハッピーバースデイ』で「贈り先」を「耕平」と打ち込んで、サンプルを読んでみてください。
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本名・長野眞
フライ・コミュニケーションズ代表
1948年生まれ。1971年上智大学を卒業後、新聞記者、コピーライターの仕事を経験し、シカゴに留学。帰国後「日本国憲法」(小学館)を共同編集したことで本を作る楽しさを知り、北山耕平とともにフライ・コミュニケーションズを設立。斬新でユニークなアイデアと感性で、数多くの作品を企画、編集、執筆する。2009年世界にたった一冊の本をつくる「ニュー・グリーティングブックス」のHPを開設。10年間横浜の小さな森の中で自然とともに暮らし、現在は鎌倉の海辺で閑かな日々を過ごしている。
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