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クリスチャン・ホソイ

2014.08.08 Friday

デザイナーでサーファーでもある白谷敏夫さんがこんなことを書いてくれたこともあって、NICIOKAに関する日記には多くの人たちが集まってくれた。

この話はニシらしい。ニシの才能を昔から理解してくれていて、メジャーの世界にアーティストとして送り出してくれた友人のひとり。長野さんからのニシ名言二つ。

ニシオカがぼくを撮ってくれた写真が出てきたので紹介したい。
ずいぶん前だけど小坪港近くの食堂で撮った写真だ。

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左が南風椎で右がクリスチャン・ホソイ
Photo by Nici from the magazine "CYBORG"

ぼくの隣にいるのはクリスチャン・ホソイ。
あの夏は毎日のように東京のぼくの事務所にやってきて一日中絵を描いていた。当時ぼくは材木座の友人のアパートを共用していたので、この写真の日もアパートの窓から材木座の夕焼けを一緒に眺めた。
クリスチャンがどういう人間か興味のある方はぜひ検索してみてください。
彼の波乱万丈の人生を描いたドキュメンタリーDVDは晩年のデニス・ホッパーがナレーターをやっています。
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NICIOKAのこと

2014.07.28 Monday

デビルマン、デビルドッグ、ザップなどの名で若いころから伝説となってきたが、ぼくはニシオカと呼んできた。そんな西岡昌典が死んだそうだ。
湘南のサーファーやボーダーたちの間で彼の名を知らない人はいない。

最近、糖尿病の合併症で入院したと聞いて見舞った。何年も会ってなかったし、見舞うことも伝えてなかったのだけど、部屋に入っただけで「ナガノさんがきたことは匂いでわかったよ」と言っていた。その後左膝から下を切断したときも訪ねた。「これまで世界で最年長のスケートボーダーだったけど、これからは世界最初の義足のボーダーになれるね」と言うと「アメリカには両足が義足のボーダーがいるよ」と笑っていた。
義足ができてリハビリをしている病院にも訪ねた。話しているとき病室に役所の人たちがふたりやってきた。障害者になるニシオカに話があるようだった。そのうちのひとりが胸にバッジをつけているのをニシオカは見逃さなかった。
「あんたはナントカ部長かも知れないけど、おれはあんたの部下じゃないんだから、この部屋ではそんなバッジは外せよ」部長はあわててバッジを外していた。

ニシオカのこんなエピソードはたくさん知られていると思う。
ずいぶん前だけどぼくはニシオカが運転する車の助手席に座っていた。ご存知のように鎌倉は道が狭いのであちこちで道を譲りあわなければいけない。そのときの対向車の男が怒鳴ってきた。「どけよ。こっちは仕事で急いでるんだよ」
ルーフにサーフボードを積んでいたニシオカは怒鳴り返した。
「おお、こっちは遊びだよ。仕事は遊びより偉いのか? 金儲けしてるだけだろ? 協力したら金を分けてくれるのかい?」
対向車は黙って道をあけ、ニシオカは車を進めた。

声はでかいし、態度もでかい。
日本社会ではトラブルメーカーとしか思われないだろうね。
でもぼくにはナントカ部長や対向車の男こそトラブルメーカーであって、ニシオカが言うことはいちいち理にかなっていたと思う。

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あのね、この世界は絶対誰かの気持ちが作ったもんなんだ。だから俺は俺の状況を自分で作る。リアリティってそういうもんだよ。たとえ体はやられても、俺のヴィジョンはやられてない。俺、殺されても死なないもの。

 ------- 写真と文『ザ・ブック・オブ・ローニン』(1986年)より

30年つき合ってきたニシオカの話はまだまだ書き足りない。
実を言うと彼が死んだなんて実感がまるでない。
ほんの数週間前に電話をくれたばかりなのだ。
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癌細胞たちとの優雅な暮らし

2014.07.22 Tuesday

前回の日記で「癌」の告白をしたところ、FBその他で驚くほど大量の「祈り」と「励まし」をいただきました。
ありがとうございます。繰り返し読んで、元気をもらっています。
癌細胞と闘わず共存を目指していくと決めたぼくに「からだにいいもの」を推薦してくれた人たちもたくさんいました。ジェイソン・ウインターズのお茶、ビオトーワというビタミン、丸山ワクチンなどなどなどなど。
「癌治療」はしないと決めたのだから、これらのアドバイスをみんな試してみようかな。
そんなアドバイスのひとつとして最近とりいれたのが「ういろう」です。
 
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実はぼくは小学五年のとき三か月だけ児童劇団に入っていたことがあります。そのときに暗唱するように言われておぼえたのが「ういろう売り」という口上でした。
「拙者親方と申すはお立ち会いのうちにご存知のおかたもござりましょうが」
に始まる長くて難解な口上ですが、半世紀以上たった今でもほとんどを記憶しています。
 
半世紀前のぼく自身に薦められたかのように「ういろう」を毎日ボリボリかじってます。
癌細胞たちとの共生生活はこんなふうにゆったりと始まっています。
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「あなたは癌です」

2014.06.26 Thursday

「あなたの顔の左半分が癌です。切り取ったら顔の半分に縦に大きな傷が残ります」
と、医者に言われてしまったのだ。

昨年の夏から左の鼻の穴から鼻水が出るようになっていた。鼻風邪をひいたのだと思っていたら、そのうちに左の耳が聞こえにくくなってきた。

大病院で検査を受けた。大掛かりな機械を使って何日もかかった。
それぞれ待ち時間が異常に長くて、検査だけで身も心も弱りきってしまった。

いつかもし自分に癌宣告が出ることがあっても、癌治療(切開、放射線照射、抗癌剤)は受けないと前から決めていたので、医者にはその場でそう答えた。

癌は治療せずに放置しておくのが一番いい、と言っているお医者さんたちも多くて、ぼくも共感していたからだ。
癌細胞は闘う相手ではなく、共存する相手だと思った方がいい。

というわけで治療はせずに、様子を見ることに決めた。
あとは自己治癒力を高めるためのライフスタイルを整えていかなきゃ。

ごく簡単にご報告しましたが、この話はもう少し続けます。

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顔の半分に縦に大きな傷が残る、と聞いてぼくが思い浮かべたのは丹下左膳の顔だった。林不忘の名で長谷川海太郎が書いた小説で、映画化されたりして大ヒットした。
長谷川海太郎もここ鎌倉材木座に住んでいたんだよね。

ぼくが癌だと知って、ご心配をおかけすると思います。
顔に痛みがあるわけじゃないし、顔が歪んだりしているわけでもありません。
ただからだはまだ弱っているので、お会いしたりできませんし、できればお電話もご遠慮ください。
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元気になりたい

2014.06.06 Friday

元気が出ない。
このところさっぱり元気が出ないのだ。

理由ははっきりしているので、近々ここでも報告します。

ぼくはあまり肉食をしないのでたまに肉食をすると、なんだか体にエネルギーが満ちてくるのを感じる。そこでカツ丼を食べに行った。
鎌倉駅近くに「竹扇」という古くからのそば屋がある。
(実はあの店で一番うまいのはカツ丼なんだよ)という情報を萬屋さんコミュニティで得ていたので、最初にきたときもカツ丼を頼んだ。今回もカツ丼。
おいしいのだけど、ぼくはとても全部は食べきれなかった。

   

元気になりたいなあ。

元気に跳び回るあの黄色のキャラ、ふなっしーのように、ぼくも南風椎(はえっしー?)とか名前を変えて、元気に飛び跳ねられるようになれるといいな :-)
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わが家のキューバ革命

2014.04.18 Friday

ガルシア・マルケスが亡くなったというニュースを聞いた日に、こんなタイトルの日記を書くことになるなんて。

ぼくは喫煙家だ。
煙草にかぎらず、焚き火、囲炉裏その他、煙がもたらしてくれるもろもろの「煙文化」に冷たい時代であることは十分知っているので、非喫煙家がいる場所では吸わないよう心がけているし、外出するときも煙草をもって出ないよう心がけている。
家でひとりでふかしてリラックスしている。

しかし日本産の煙草はセシウムの含有量が多いというニュースはショックだったな。
セシウムを吸ってるのかと思うとリラックスもできないじゃないか。

そこで入手したのが100%キューバ産の煙草『チェ』だ。チェ・ゲバラの『チェ』だね。無添加無香料であるのもうれしい。

以前『スケルトンスモーキング』という日記にも書いたけど半年ほど禁煙したこともあり、禁煙はそんなに苦労はしなかった。またやめるかもしれない。
それまではしばらく『チェ』と付き合うことになる。

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謹賀新年

2014.01.04 Saturday

明けましておめでとうございます。

一度だけゴンゾーと光明寺に初詣にでかけた以外は、例年通りの寝正月です。
10数年前にお正月のお笑い番組からの逃避場所としての「箱根駅伝」を発見。しかし今では箱根駅伝ヘッドを自称できるほどのファンになりました。
今年は「3強」と呼ばれていた大学が勝ち抜きましたね。

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北海道に住む友人、鈴木弘子さんが送ってくれた人形です。
酒を飲んで酔っぱらっている妖精だそうです。
まったくこんなふうな寝正月です :-)

今年もよろしくお付き合いください。
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思い出の場所

2013.12.28 Saturday

2年前に亡くなった西丸文也さんと一緒に撮った写真が出てきた。
94年の写真だね。ぼくがかぶっている帽子は93年末のデッド・ショーで買ったものだし、94年に北海道の社台ファームに滞在したときに買ってきたサンデーサイレンスのTシャツを西丸さんが着ている。青山のオフイスで撮った写真だ。
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あの頃西丸さんは毎日国立競技場のジムに通っていた。誘われてぼくもジムに入り、ぼくは週に一度ほど通ってストレッチをしたり競技場の上の回廊を西丸さんとジョギングしたりした。終わったら大浴場で汗を流し、近くのホープ軒でラーメンを立ち食いしてオフィスに戻るのが常だった。
あの国立競技場がなくなって、ホープ軒までもがなくなるという噂だ。
そればかりか、学生時代に多くの政治集会に出た明治公園がなくなり、多くのロックコンサートを見た青年館までなくなるという噂だ。
ぼくたちのたいせつな思い出の場所がみんな消えてしまう?
7年後にわずか2週間ひらかれるマイナースポーツの大会のために?!
猪瀬直樹が都知事を辞めるのは一向にかまわないけど、辞める前に責任をとって東京五輪の開催を返上してほしかった。
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原かおりさんに、メリークリスマスを。

2013.12.23 Monday

古くからの友人で、元TVのレポーターだった原かおりさんが亡くなったという連絡があって大きなショックを受けている。入院されているのは聞いていたのに、お見舞いに行けなかったのが悔やまれる。

草野球チーム、ブラックベルベッツの応援にもよくきてくれた。
このブログでは2010年7月10日の『グレープフルーツ・ジュース』という日記にコメントをくれたこともあった。

95年にTVがオウム真理教に関する狂乱報道を連日続けているとき、彼女は報道姿勢に疑問を呈したため、メインの仕事から外されてしまった。
「鹿児島で買い物をする犬がいる、みたいな仕事ばかりしてます」
と笑っていた。日本のTV界には珍しい、知的なレポーターだった。
デーブ・スペクターも今回こんなメールをくれた。
「残念です。ウィットのある、素敵な人でした」

近年は着物に夢中になっているとも聞いていたのに、ぼくは一度も和服姿の原かおりさんには会えなかった。この写真はフェイスブックの彼女のプロフィール写真。
わずか一ヶ月前に彼女が更新した写真だ。

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ぼくのこの日記で彼女の死を知った人たちはみんな原かおりさんの笑顔を思い浮かべていると思う。陽気でいつも笑っていた人だったからだ。
原かおりさん、たくさんの人たちの心にたくさんの美しい笑顔を残していってくれて、ありがとう。

あなたが素敵なクリスマスを迎えられるよう祈ります。
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ブラックベルベッツの伝説

2013.05.01 Wednesday

箱にスヌーピーの絵が描かれたポッキーを貰ったので、かじりながらTVで野球中継を見た。クッキークランチのこのポッキーはうまいね。
ダルビッシュが好投をしていた。メジャーで初のイラン系日本人選手として注目されている。有(ゆう)という変わった名前だけど有(アリ)と読めば、アラブ圏ではよくある名前なんだね。アリ・ババのアリだ。イラン人と日本人の間にできた子がアメリカで野球をする。こういう国境線を消していくような話が好きだな。

昔青山に事務所があったころ近くのバーJADAで野球チームを作るという話が持ち上がり、ぼくも誘われた。仕事が忙しくてとてもできないと思い「監督兼四番打者で一塁手ならやるよ」と無理難題を言ったらあっさり受け入れられてしまった。しかもチーム名はぼくが好きな酒ブラックベルベットから青山ブラックベルベッツに決まった。
もう逃げられない。慌てて早朝のジョギングを始め、バッティングセンターに通った。

草野球チーム、ピーナツの監督兼投手だったチャーリー・ブラウンは試合前夜に「うちのチームは男7人に女1人、そして犬が1匹だ。やれやれ」と悩んでいた。
ぼくも試合前夜は「うちのチームは明日も20人以上やってくる。そのうちのかなりの数が野球のルールを知らないし、野球どころかスポーツ体験がまったくないアメリカ人選手もいる。やれやれ」と悩んだものだ。

試合前にぼくがやることは相手チームに「うちは守備は9人でやりますが、打順は20番まで回りますので」と頼みに行くことだった。休日の朝からやってきて試合に出れない人は作りたくなかったからだ。
「野球はたくさん点をとった方が勝ちなんじゃなくて、たくさん楽しんだ方が勝ちということにしよう」という方針も決めた。最初のシーズンは(点取りゲームとしては)全敗だったが、楽しむゲームとしては連戦連勝だった。30対0で負けた試合でもグラウンド横でバーテンダーの小澤さんが作ってくれるブラックベルベットで乾杯し、談笑している連中は相手チームに奇異の目で見られていただろうね。

2年目のシーズンのどこかで幸運と偶然が重なって(点取りゲームでも)初勝利をした。1点差のきわどいゲームだった。監督のぼくは胴上げをされた。
ぼくが監督をした2年間で(点取りゲームで)勝利したのは結局それっきりだった。

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ブラックベルベッツのメンバー。
写真家の今は亡き西丸さんが写ってないし、強打者の長尾さんもいない。チーム退団後に修道院に入った田川さんの姿も見えないね。
ヤンキースとかレンジャーズを目指すのではなく、スヌーピーが所属したピーナツを目指していた不思議な草野球チーム、ブラックベルベッツの伝説は今も語り継がれている。
語り継がれているといいけど :-)
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プロフィール
本名・長野眞
フライ・コミュニケーションズ代表

1948年生まれ。1971年上智大学を卒業後、新聞記者、コピーライターの仕事を経験し、シカゴに留学。帰国後「日本国憲法」(小学館)を共同編集したことで本を作る楽しさを知り、北山耕平とともにフライ・コミュニケーションズを設立。斬新でユニークなアイデアと感性で、数多くの作品を企画、編集、執筆する。2009年世界にたった一冊の本をつくる「ニュー・グリーティングブックス」のHPを開設。10年間横浜の小さな森の中で自然とともに暮らし、現在は鎌倉の海辺で閑かな日々を過ごしている。
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